増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門

増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門

東京都港区芝公園4丁目、増上寺安国殿背後にある徳川将軍家墓所の門が、鋳抜門(いぬきもん)。実は増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門は、かつては6代将軍・徳川家宣の霊廟(文昭院霊廟)の中門だったものを移築。霊屋・宝塔前に置かれた鋳抜門は、まさに徳川将軍家墓所の正門にふさわしい造りです。

6代将軍・徳川家宣霊廟(文昭院霊廟)の中門を移築

増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門

徳川家康の廟所である日光東照宮奥社・宝塔前にも鋳抜門がありますが、ともに唐銅(からかね=青銅の一種で色が黄色、茶色がかっている)の鋳造製。
増上寺の北にあった6代将軍・徳川家宣の霊廟(文昭院霊廟)は、戦前に訪れた永井荷風によれば、「広大なる此の別天地の幽邃なる光線と暗然たる色彩と冷静なる空気とに何かしら心の奥深く、騒々しい他の場所には決して味われぬ或る感情を誘い出される」(永井荷風「霊廟』)という荘厳なものでした。

二天門の先には勅額門があり、勅額門をくぐると右手に鐘楼、左手に水盤舎、さらに奥の中門をくぐって霊屋(たまや)に到達し、霊屋の背後に宝塔を配する構造でしたが、東京大空襲で中門を除いて焼失。
中門は移築され、徳川将軍家墓所の門になったのです(文昭院殿廟に並んで造営された満6歳で夭逝した7代将軍・徳川家継の有章院殿は中門が東京プリンスホテルの駐車場横に現存しています)。

増上寺に埋葬されている徳川将軍は、2代・徳川秀忠、6代・徳川家宣、7代・徳川家継、9代・徳川家重、12代・徳川家慶、14代・徳川家茂の6人の将軍の他、第5代将軍・徳川綱吉の兄・徳川綱重、女性では将軍正室として2代秀忠夫人・崇源院、6代家宣夫人・天英院、11代家斉夫人・広大院、13代家定夫人・天親院、14代家茂夫人・静寛院の5人、将軍の側室としては3代家光の桂昌院、6代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人です。

増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門
名称 増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門/ぞうじょうじ・とくがわしょうぐんけぼしょいぬきもん
所在地 東京都港区芝公園4-7-35
関連HP 増上寺公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄三田線御成門駅から徒歩3分
ドライブで 首都高速芝公園ランプから約500m
駐車場 10台/無料、または、東京タワーパーキングセンター・地下(200台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 増上寺 TEL:03-3432-1431
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

増上寺

徳川将軍家の菩提寺として有名。寺としての歴史は古く、その創建は1393(明徳4)年まで遡ります。徳川家康の菩提寺として芝に移されてからは、東国随一の浄土宗寺院として繁栄を続けてきましたた。東京大空襲の戦火でほとんどの建物を焼失してしまいまし

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