若一神社(平清盛西八条殿跡)

若一神社(平清盛西八条殿跡)

京都府京都市下京区にある平清盛ゆかりの社が若一神社(にゃくいちじんじゃ)。社伝によれば、平清盛が別邸として建てた西八条殿(にしはちじょうどの)の邸内に、仁安元年(1165年)、紀州熊野の若一王子(にゃくいちおうじ=熊野十二所権現・五所王子の第一位)の分霊を勧請したのが始まり。

平清盛の別邸・西八条殿の鎮守社との伝承が

当時一帯は六波羅(ろくはら)と並んで京のおける平家の本拠地で、平清盛は、この若一王子(本地仏は十一面観音)に出世を祈願すると、仁安2年2月10日(1167年3月3日)、たちどころに太政大臣に任ぜられたことから開運出世の神として崇められています。

社前には平清盛手植えと伝わる御神木の大楠も聳え立ち、ここが神域であることを表しています。
往時、西八条殿には50余の平家の邸宅が並んでいたと伝えられますが、現在では往時を偲ぶものがこの御神木だけになっています。
寿永2年7月25日(1183年8月14日)朝の平家都落ちに際しては、後継者である平宗盛以下、平知盛、平時忠、平教盛、平経盛、平清宗、平重衡、平維盛、平資盛、平通盛ら平家一門が、西八条殿と呼ばれた邸宅群、そして六波羅の邸宅に火を放ち、遠く九州に逃れています。


若一神社の境内に湧く神供水は、開運出世の水として、新生児誕生に際しての産湯としても有名。
『例祭』は毎年11月10日に齋行されています。

ちなみに平清盛の西八条殿は、梅小路公園周辺にあったとされ、若一神社の境内はその西南に位置しています。
若一神社が西八条殿の鎮守社だったとするのは、あくまで伝承ですが、平清盛も後白河上皇に伴って熊野参詣をし、後白河上皇の法住寺殿近くに新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を建立しているので、可能性は大。

平清盛は出家後、遷都を目指した福原京(現・神戸市兵庫区平野)に在住することが多く、妻の平時子(たいらのときこ=二位尼、壇ノ浦の戦いで三種の神器の一つ天叢雲剣を手に入水)が居住していました。

若一神社(平清盛西八条殿跡)
名称 若一神社(平清盛西八条殿跡)/にゃくいちじんじゃ(たいらのきよもりにしはちじょうどのあと)
所在地 京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98
電車・バスで JR西大路駅から徒歩6分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約6km。または、阪神高速8号京都線鴨川東出口から約5km
駐車場 4台/無料
問い合わせ 若一神社 TEL:075-313-8928/FAX:075-322-2440
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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