東京都小笠原村、小笠原諸島・母島列島の主島・母島の南にあるのが、姉島(あねじま)。母島の南海域には姉島、妹島、姪島が並んでいますが、もっとも西側にあるのが姉島です。現在は無人島で、上陸することはできませんが、母島南端の小富士から眺望できます。世界文化遺産「小笠原諸島」の構成資産にもなっています。
母島列島最南の島は、海食崖に囲まれた無人島
徳川幕府は、文久元年(1862年)、外国奉行・水野忠徳を団長とする派遣団を軍艦「咸臨丸」に乗せて小笠原に送り、父島、母島両島を測量。
島民に日本の領土であることを告げて今後、日本から来る移民と和合して暮らしていくことを呼びかけていますが、その際、向島、姉島、妹島、姪島も絵図に残しています。
明治9年の明治政府の小笠原領有の宣言を受け、明治27年に姉島にも開拓民が入島、ブタとヤギの放牧が営まれ、明治32年には姉島、妹島、姪島を結ぶ月1便の定期航路(母島姉島妹島姪島往復連絡船)も就航するように。
大正8年には人口14人を数えるまでになりました。その後、離島が進みますが昭和12年〜昭和14年には島根県仁田郡横田村(現・奥出雲町)出身の岡崎喜一郎が、小笠原姉島家庭塾という非行少年の更生施設を営み、生活をともにしながら教護活動を行なっていました(戦前は、父島などの農家へ本土の少年感化院から非行少年などが送られ、農業に従事させることが一般的に行なわれていました)。
岡崎喜一郎の小笠原姉島家庭塾は、岡崎の横田村の自宅が火災になったため、姉島を引き上げ、戦時下で無人島になっています。
母島列島は,新生代古第三紀始新世(4400万年前)以降、太平洋の浅海~海上で活動した火山群。
姉島も玄武岩主体の凝灰角礫岩とハイアロクラスタイト(水中に流出した溶岩流が破砕を受けて生まれた火山岩)で形成され、北岸の北浦を除き、島の周辺には海食崖が発達しています。
島の北側には姉島瀬戸を隔てて平島があります。
姉島 | |
名称 | 姉島/あねじま |
所在地 | 東京都小笠原村母島姉島 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag