東京都千代田区、江戸城を取り囲む内堀のうち、現在、日本武道館のある北の丸(現・北の丸公園)の北東側部分、清水門と田安門の間が、牛ヶ淵(うしがふち)。江戸時代中期に編纂された江戸の地誌『江戸名勝志』によれば、銭を積んだ牛車(ぎっしゃ)が、濠に落ちて牛が死んだのが名の由来。
前身は文禄元年(1592年)に築かれた貯水池
牛ヶ淵は、徳川家康の江戸入府の天正18年(1590年)後、江戸の人口増加で、江戸の町に水不足が生じました。
その打開策として文禄元年(1592年)に築かれた貯水池が、牛ヶ淵と千鳥ヶ淵です。
牛ヶ淵は、武蔵野台地の東端部、日本橋川のつくった谷間を堰き止めた貯水池でしたが、慶長8年(1603年) 、江戸城の天下普請(てんかぶしん)による拡張時に、同様の貯水池だった千鳥ヶ淵と連結するかたちで江戸城を巡る内堀の一部に組み込まれました。
濠の形状、堤、石垣、門などは今もその姿を留めています。
牛ヶ淵と田安門の北に通るのが九段坂で、路面電車が通るまでは急な坂道で、荷を積んだ牛車などは大変苦労したのだと推測できます。
明治39年1月、牛ヶ淵、田安門から先の千鳥ヶ淵の土手を削って、勾配の緩やかな専用軌道を整備し、東京市街鉄道の路面電車(後の東京電気鉄道、東京鉄道、東京市電、現在の都電)九段線が開通、現在の緩やかな形状の坂道となったのです。
葛飾北斎の洋風版画風に仕上げた『くだんうしがふち』にその急坂と牛ヶ淵が描かれています。
牛ヶ淵 | |
名称 | 牛ヶ淵/うしがふち |
所在地 | 東京都千代田区北の丸公園2 |
電車・バスで | 東京メトロ・都営地下鉄九段下駅から徒歩3分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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