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東品川海上公園・クジラの滑り台

東品川海上公園・クジラの滑り台

東京都品川区東品川2丁目、東品川3丁目、天王洲アイルとその南に位置する品川区立の公園が、東品川海上公園。目黒川の河口、天王洲運河との合流点に位置し、北側エリアにあるのがクジラの滑り台。江戸湾のクジラを天王洲に追い詰めた「寛政の鯨」をモチーフにしたものです。

江戸時代、天王洲に流れ着いた迷いクジラがモチーフに

クジラがモチーフになっているのは、寛政10年5月1日(1798年6月14日)に、暴風雨で1頭のクジラが品川沖に現れ、近在の漁師たちはこのクジラを天王洲に追い込んで捕獲したことから。
記録によれば、捕獲されたクジラの体長は16m強、体高2mほどで、セミクジラと推測されています。
これが「寛政の鯨」と呼ばれる江戸の珍事で、クジラは縄を掛けて舟で浜御殿まで運ばれ、将軍・徳川家斉も目にしています。

その後、死骸は解体されて脂が取られ、残った頭骨は、当時の洲崎弁天の境内に埋められ、鯨塚が建立されています(現在の利田神社の鯨塚で、隣接する品川浦公園にはクジラ頭部のモニュメントがあります)。

江戸時代、江戸湾(東京湾)では南房総の勝山(現・千葉県鋸南町勝山漁港)がクジラ漁の拠点として栄え、水深500m以上の海底谷が「鯨道」となっていたため、大黒山でクジラの潮吹きを確認し、浮上したクジラを6mの銛で突き、麻縄をつけて疲れさせ、海に飛び込んで太刀で仕留め、口を縄で縛り、船で港に運ぶという漁を行なっていました。

最盛期には500人にも及んだ大漁船団を組織したのは、房総捕鯨の祖・醍醐新兵衛で、明暦元年(1655年)にクジラ漁の漁法を確立。
しかし、幕末ころにはアメリカの捕鯨船が日本近海にも現れ、乱獲でクジラが減少、明治4年、醍醐組は解散しています。
江戸湾奥の天王洲に現れるのは、弱った迷いクジラで、江戸を驚かせた三大動物の一つに数えられています。

ちなみに、江戸を驚かせた三大動物は、クジラ(「寛政の鯨」)のほか、「享保の象」(中野区・朝日が丘公園が象を飼育した象小屋跡)、「文政の駱駝」(両国広小路で見世物興行)で、クジラ以外は長崎からわざわざ陸路で江戸まで来たものです。

東品川海上公園・クジラの滑り台
名称 東品川海上公園・クジラの滑り台/ひがししながわかいじょうこうえん・くじらのすべりだい
所在地 東京都品川区東品川2-6-22・21
関連HP 品川区公式ホームページ
電車・バスで 東京モノレール天王洲アイル駅から徒歩6分。東京臨海高速鉄道りんかい線天王洲アイル駅から徒歩8分。京急線新馬場駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

東品川海上公園

東京都品川区東品川2丁目、東品川3丁目、天王洲アイルとその南に位置する品川区立の公園が、東品川海上公園。目黒川の河口、天王洲運河との合流点に位置し、目黒川に架かるアイル橋をはさんで、北側と南側に分かれています。北側エリアには、クジラをイメー

利田神社・鯨塚

東京都品川区東品川1丁目、利田神社(かがたじんじゃ)の境内の一角に築かれているのが、鯨塚。江戸湾に現れ、天王洲へと追い込んで捕獲、東京では唯一のクジラを埋葬した塚。江戸を驚かせた三大動物の一つ「寛政の鯨」の骨を埋めた上に立てられた供養塔です

 

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