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由良台場(お台場公園)

由良台場(お台場公園)

鳥取藩の藩倉が置かれた由良湊(現・鳥取県北栄町)に元治元年(1864年)に築かれたのが由良台場。往時の原型を完全な姿で保存している日本唯一の貴重な史跡で、お台場公園として整備されています。鳥取藩最後の藩主・池田慶徳(いけだよしのり)が武信潤太郎(たけのぶじゅんたろう)に命じてフランス式の築城法で築いたもの。

由良藩倉の防備を目的に設置された砲台の跡

由良にあった鳥取藩の藩倉(現・北栄町由良宿=鳥取藩では4番目に大きな規模の藩倉)の防備を目的に、東西125m、南北83mに高さ4.5mの土塁を4稜に巡らせ、六尾村(現・北栄町六尾)に築いた六尾反射炉で鋳造した4門(60斤砲、24斤砲、15斤砲、5寸径砲各1門が配備)の大砲を設置しています。

安政3年(1856年)、反射炉御用掛に任命され、高島秋帆(たかしましゅうはん)に西洋砲術を学んだ武信潤太郎が設計、総指揮者。
武信潤太郎は、嘉永5年(1852年)に翻訳出版された『海岸備要』(オランダ人ゲルリット・ハンゲントルレンの兵学書を長崎通詞・本木正栄が翻訳、兵学者・布川通璞が校訂を行なったもの)を参考に、由良台場、赤崎台場を設計しています。
ペリー来航で風雲急を告げる嘉永6年(1853年)に設計、翌年に完成させています。

藩財政が窮乏していたので、工事資金はすべて武信家を中心とした地元の豪農らが負担し、労働力には16歳~50歳の地元農民、延べ7万5000人を動員しています。
完成した後も訓練された農兵によって守備されています。

鳥取藩は伯耆4ヶ所(境・淀江・橋津・由良)、因幡4ヶ所(浦富・浜坂・賀露・赤崎)に台場を築いていますが最初に設置されたのがこの由良台場。

自前の大砲を鋳造した六尾反射炉も、安政4年(1857年)4月、武信潤太郎が豊前賀来家反射炉(宇佐賀来家・賀来惟熊が建造)の中心的技術者である賀来三綱(小右衛門)ほか職人3人を六尾に連れ帰り(賀来家秘伝の大砲鋳造技術が鳥取藩に伝来)、突貫工事で9月に完成させています(俳優の賀来千香子は砲術家・賀来家の子孫とか)。

国の史跡となった由良台場一帯9.7haは、お台場公園として、ローラースケート場のある多目的広場、全天候型テニスコート4面、ゲートボール場2面、それにアスレチックヤードのある子供広場、100張りのテントが張れるキャンプ場などが整備され、砲台跡を探すのを苦労するほど広大。
由良台場は西側の由良川沿いにありますが、一帯は北条砂丘という砂丘地帯です。
隣接して東側に「道の駅大栄」もあり、「お台場いちば」では、「砂丘ブドウ」をはじめ毎朝地元の農家が持ち込んだ新鮮な野菜や果物、加工品などを販売しているので時間が許せば寄り道を。

由良台場(お台場公園)
名称 由良台場(お台場公園)/ゆらだいば(おだいばこうえん)
所在地 鳥取県東伯郡北栄町由良宿1458-16
関連HP 北栄町公式ホームページ
電車・バスで JR由良駅から徒歩20分
ドライブで 山陰自動車道北条ICから約5km
駐車場 200台/無料
問い合わせ お台場公園管理事務所 TEL:0858-37-4888
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

境台場公園(鳥取藩境台場跡)

鳥取県境港市の境水道に隣接する公園が境台場公園。幕末の文久3年(1863年)に鳥取藩が外国艦船への防備のため藩内の海岸部に築いた砲台(台場)8ヶ所(因幡国3ヶ所、伯耆国5ヶ所)のひとつ、鳥取藩境台場跡です。往時の遺構が残された台場跡は、公園

北条砂丘

鳥取県東伯郡北栄町・湯梨浜町、東は橋津川河口から西は由良川河口にまで日本海沿いに広がる、東西約12km、南北1.8km、面積1100haという広大な海岸砂丘が、北条砂丘。中国山地の風化した花崗岩が砂となり、天神川を流下し堆積。海岸に打ち上げ

 

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