米子市淀江町福岡の上淀地区、上淀廃寺跡近くに鎮座する古社が天神垣神社(あめのかみがきじんじゃ)。古代、この地には法隆寺のような広大な寺がありました(上淀廃寺跡)。やはり、この神社も白鳳時代から脈々とした歴史を誇る神社で、江戸時代以前には元天神、または天満宮と称していましたが、明治元年に今の神社名に改称されています。
国の重要文化財・石馬(非公開)を社宝に
主祭神は、少彦名命(すくなひこなのみこと)。大国主の国造りに際し、天乃羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って波の彼方より来訪したと伝えられます。医薬、温泉、そして酒造の神とされ、何やら大陸からの渡来人を連想させる神様でもあるのです。この少彦名命が、手間天神(てまてんじん)と称されていたことから、元天神と呼ばれていたのです。
ちなみに、少彦名神は高皇産霊(神皇産霊尊)の子ですが、高皇産霊(神皇産霊尊)の手の間から零れ落ちたので手間天神と呼ばれるようになったのだとか。俗に「天満天神」というのは中世の誤りだと思われます。
本州では唯一の石馬(国の重要文化財)が保存されており、地元では、石馬大明神とも呼ばれてきました。石馬が保管されている蔵の近くには石馬の記念碑が設置されています。
毎年9月の第1日曜(本来は旧暦8月1日)に斎行される国の無形民俗文化財『上淀の八朔』(かみよどのはっさく)は、境内に祀られている荒神社の祭礼。長さ50mにも及ぶ稲わらを綯って「クチナワサン」と呼ばれる大蛇を作り、それを担いで天神垣神社境内の荒神の神木を回った後、集落の通りに移動して上・下に分かれて綱引きを行ない、豊凶を占うもの。豊作や無病息災を祈願して綱引きを行う行事で、鳥取県の一部と兵庫県但馬地方に伝承されてきましたが、現存するのは、『上淀の八朔』のみとなっています。
大山から産出される角閃石安山岩の巨岩を削って造られた石製の馬。体長150cm、体高90cmという往時の在来馬とほぼ同じ大きさがあります。上淀集落の山裾にある石馬谷古墳のそばに立てられ、江戸時代には「石馬大明神」として崇拝されていたと伝えられるので、向山古墳群として国史跡に指定されている石馬谷古墳(全長61mの前方後円墳)の上に並んでいたものと推測できます。製作年代は石馬谷古墳が造られた6世紀後半、古墳時代後期。古墳時代中期の九州北部では、福岡県や熊本県などの一部で、古墳に石人・石馬と呼ばれる石造彫刻を並べる習慣がありましたが、本州で判明しているのは、米子市の石馬が唯一のもの。古墳時代に米子と九州との交流があったことの証となっています。天神垣神社に収蔵されている石馬の見学を希望の場合には、上淀白鳳の丘展示館に問い合わせを。
天神垣神社 | |
名称 | 天神垣神社/あめのかみがきじんじゃ |
所在地 | 鳥取県米子市淀江町福岡1016 |
関連HP | 米子市公式ホームページ |
電車・バスで | JR淀江駅から徒歩22分 |
ドライブで | 米子自動車道淀江ICから約1.4km |
駐車場 | 白鳳の里駐車場・上淀白鳳の丘展示館駐車場などを利用 |
問い合わせ | 米子市観光協会 TEL:0859-37-2311 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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