上淀廃寺跡

伯耆古代の丘公園(米子市)の東500mの場所にある古代の寺院跡。日本最古級の彩色壁画が出土したことで有名です。上淀集落東側の高台にある名前の不詳の寺院という意味で「上淀廃寺」と呼ばれており、調査の結果、白鳳時代の寺だということが判明し、金堂、塔、中門跡が確認されています。

法隆寺のような巨大な寺院が古代、米子市淀江の地に!

金堂の基壇が復元されているほか、塔跡も確認できます

古代の寺は、飛鳥時代後期(7世紀後葉)の建立、平安時代中期(11世紀初頭)に火災で焼失し、廃寺となったと推測されています。
平成3年からの発掘調査で、国内最古級仏教壁画片が大量に出土(壁土は現在までに4300点が出土し、そのうち1300点の壁画)。飛鳥時代の堂塔内部を復元することができる数少ない古代寺院跡として、平成8年、国の史跡に指定されました。

法隆寺金堂壁画と並ぶ日本最古級の仏教壁画は、金堂の壁の内側に描かれていたものと推測されています。使われた顔料は法隆寺と同種の8~12色。図柄も同様の「説法図」とみられ、金堂を飾っていたことが判明。
伽藍配置も、当初は法隆寺式伽藍配置と推測されていましたが、発掘調査の結果、金堂の東に3塔を南北に配する独自の伽藍配置であることが判明。堂塔配置が規格的である古代の寺院において他に例がない貴重な寺院跡となっています。
金堂、そして中塔・南塔の基壇は瓦積みの周囲に石列を設置する二重基壇で、百済の寺院に多く見られる様式。つまりは大陸との交流も感じさせる古代寺院跡となっているのです。

中心となる金堂は、7世紀末に建立され、8世紀の中頃改修されたことがわかっています。整備事業で創建時の基壇を復元しており、その規模がわかります。8世紀にはこの金堂に、丈六(2.4m)の本尊・如来坐像と、一丈(3m)の脇侍の菩薩像が安置されていました。

寺域は、南北1町(約106m)、東西2町(約212m)と広大で、堂塔以外にも倉庫など多くの付属施設をもつ、地方では大規模な寺で、壁画片の他、仏像片、瓦、土器、鉄器などが出土しています。
出土した塑像は「上淀白鳳の丘展示館」に原寸大の仏像、壁画や天井画の細部まで復原展示されているので、ぜひ見学を。

法隆寺金堂壁画に匹敵するほどの壁画を備える大寺院が存在し、さらに、同じ淀江町福岡地内に史跡妻木晩田遺跡、向山古墳群があることからも、この地に弥生時代に拓けた「クニ」があり、その後、古墳時代から飛鳥時代にも先進の土地だったことがわかります。

寺を建立したのはどんな豪族で、中央とどんな関係だったのか? 米子の古代寺院跡は、日本の古代史に大きな謎を投げかけています。

上淀廃寺で出土した壁画片。神将の一部が描かれています
伯耆国の古代寺院
伯耆国(ほうきのくに=鳥取県西部)では、古代寺院は大御堂廃寺跡(おおみどうはいじあと/倉吉市)や斎尾廃寺跡(さいのおはいじあと/琴浦町)が知られています。大御堂廃寺も山陰最大級の寺院跡で、伯耆国府の所在する久米郡を代表する寺で、寺の名は久米寺だと推測されています。斎尾廃寺跡は、法隆寺式伽藍配置の寺院跡で、山陰地方で唯一の特別史跡。
上淀廃寺跡
名称 上淀廃寺跡/かみよどはいじあと
所在地 鳥取県米子市淀江町福岡
関連HP 白鳳の里公式ホームページ
電車・バスで JR淀江駅からどんぐりバスで10分、民俗資料館前下車、徒歩8分。または、JR淀江駅から徒歩25分
ドライブで 山陰自動車道淀江ICから約1.5km
駐車場 上淀廃寺跡専用駐車場/無料
問い合わせ 上淀白鳳の丘展示館 TEL:0859-56-2271
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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