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雄山神社前立社壇

雄山神社前立社壇

富山県立山町、越中国一之宮で、延喜式神名帳にも記載の古社が雄山神社。岩峅寺(いわくらじ)に建つ前立社壇なら通年参拝が可能。平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の社で、神仏分離の明治維新までは、立山権現への寄進奉納はこの場所になされ、立山登拝では、岩峅寺で身を清め、道中の安全を祈りました。

立山寺を前身とする立山信仰の拠点だった地

峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、前立社壇の3社の総称が雄山神社ですが、立山連峰・雄山山頂に鎮座する峰本社には夏山登拝シーズンのみの参拝となるため、里に前立社壇が設けられています。

雄山を阿弥陀如来(西方浄土)に見立てた神仏習合の江戸時代、立山は加賀藩の支配地として厳しく管理され、禅定登山(禅定=霊山に登って修行すること)ができる期間は7月〜8月の2ヶ月間のみ。
しかも女人禁制のため女性の参詣者は禅定登山ができませんでした。
全国各地からやってきた禅定登山者は、登山の拠点となる岩峅寺・芦峅寺の宿坊(岩峅寺24坊・芦峅寺38坊)で宿泊し、翌早朝に衆徒や中語に引率されて入山し、まずは室堂を目指しました。

立山寺(岩峅寺)は、禅定登山で立山に入山する者の身の穢(けがれ)や罪を湯立ての神事にて祓い、道中の無事を祈願した場所でもあり、境内にある湯立の釜は、弘化2年(1845年)、加賀藩12代藩主・前田斉泰の奉納。
この釜で沸かした湯を参詣する人々の身に振りかけたのです。

源頼朝創建、足利義稙(あしかがよしたね)再建、佐々成政(さっさなりまさ)改修と伝わる本殿は国の重要文化財。
拝殿前(神仏習合時代には絵馬堂が建っていました)の狛犬は、加賀藩2代目藩主・前田利長の正室・玉泉院(永姫)が寄進したもの。

明治維新以前の神仏習合時代には、立山寺と称し観音堂や地蔵堂が建ち並び、24軒の宿坊がありました。
芦峅寺は宿坊集落の雰囲気が薄れていますが、岩峅寺には宿坊が並んだ古い家並みが今も残されているので、雄山神社前立社壇参拝の前後には、その家並みも見学していきましょう。

名称 雄山神社前立社壇/おやまじんじゃまえだてしゃだん
所在地 富山県中新川郡立山町岩峅寺1
関連HP 雄山神社公式ホームページ
電車・バスで 富山地方鉄道岩峅寺駅から徒歩10分
ドライブで 北陸自動車道流杉スマートICから約9km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 雄山神社前立社壇 TEL:076-483-1148/FAX:076-483-3953
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

雄山神社・峰本社

富山県中新川郡立山町、日本三霊山・立山(たてやま)の主峰、雄山(3003m)の山頂に鎮座するのが雄山神社・峰本社。大宝元年(701年)、佐伯有頼(さえきのありより)が立山・室堂平の玉殿岩窟で立山権現の霊示を受け、文武天皇の勅命で開山したと伝

芦峅雄山神社(芦峅中宮祈願殿)

越中国一之宮で、平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載の古社(式内社)、雄山神社(おやまじんじゃ)。霊峰立山を神体とする立山信仰の拠点で、峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿、前立社壇(まえだてしゃだん)の3社の総称が雄山神社で、登山口の芦峅

 

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