芦峅雄山神社(芦峅中宮祈願殿)

芦峅雄山神社(芦峅中宮祈願殿)

越中国一之宮で、平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載の古社(式内社)、雄山神社(おやまじんじゃ)。霊峰立山を神体とする立山信仰の拠点で、峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿、前立社壇(まえだてしゃだん)の3社の総称が雄山神社で、登山口の芦峅寺(あしくらじ)にあるのが芦峅雄山神社(芦峅中宮祈願殿)です。

神仏習合時代には立山信仰の拠点だった地

立山連峰・雄山山頂に鎮座する峰本社には夏山登拝シーズンのみの参拝となりますが、芦峅寺にある中宮祈願殿は通年参拝が可能。
明治の神仏分離以前、神仏習合の時代には芦峅寺(中宮寺)と称し、立山雄山神(立山大宮)、剣岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎し、立山信仰の拠点となった地です。
芦峅寺の姥谷川に架かる布橋が、立山にあるあの世と、人間が住むこの世の境とされていたのです。

布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ/江戸時代、女人禁制の立山への登拝が許されなかった女性が、白装束姿で白い布が敷かれた布橋を渡り、極楽浄土を願う儀式)で、重要な役割を果たした中宮寺うば堂(うば尊を祀る)も神仏分離、廃仏毀釈の荒波で破却され、往時の布橋も今はありません。

廃仏毀釈後、芦峅寺は廃寺となり、廃墟となった時もありましたが、根本中宮の境内とその講堂が雄山神社中宮祈願殿として復活しています。

『立山開山縁起』で、大宝元年(701年)に室堂・玉殿岩屋で、霊示を受け立山を開山したと伝えられる佐伯有頼(さえきのありより)も晩年をこの地で過ごし、立山開山御廟に祀られています。

周辺には江戸時代に全盛を極めた立山権現信仰の宿坊が建ち並び、集落まるごと博物館構想により、平成7年に「立山曼荼羅(まんだら)の里」として整備されています。
「剣の文蔵」と称された佐伯文蔵など、近代登山の黎明期に活躍した立山・剣の山岳ガイドも、この芦峅寺の人。

現存する拝殿(祈願殿)は、神仏分離まで芦峅寺(中宮寺)の講堂だったもの。
芦峅雄山神社(芦峅中宮祈願殿)の参道の立山杉は富山県の天然記念物に指定されています。

芦峅雄山神社(芦峅中宮祈願殿)
佐伯有頼が祀られる立山開山御廟
名称 芦峅雄山神社(芦峅中宮祈願殿)/あしくらおやまじんじゃ(あしくらじちゅうぐうきがんでん)
所在地 富山県中新川郡立山町芦峅寺2
関連HP 雄山神社公式ホームページ
電車・バスで 富山地方鉄道有峰口駅から徒歩30分
ドライブで 北陸自動車道流杉スマートICから約19km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 雄山神社芦峅社務所 TEL:076-482-1545
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
雄山神社・峰本社(雄山山頂)

雄山神社・峰本社

富山県中新川郡立山町、日本三霊山・立山(たてやま)の主峰、雄山(3003m)の山頂に鎮座するのが雄山神社・峰本社。大宝元年(701年)、佐伯有頼(さえきのありより)が立山・室堂平の玉殿岩窟で立山権現の霊示を受け、文武天皇の勅命で開山したと伝

雄山神社前立社壇

雄山神社前立社壇

富山県立山町、越中国一之宮で、延喜式神名帳にも記載の古社が雄山神社。岩峅寺(いわくらじ)に建つ前立社壇なら通年参拝が可能。平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の社で、神仏分離の明治維新までは、立山権現への寄進奉納はこの場

布橋

布橋

宿坊が並び立山信仰の拠点として栄えた富山県立山町芦峅寺地区。立山信仰において、この芦峅寺から奥は聖域(江戸時代、立山は山中に地獄や浄土があるあの世の世界と考えられていました)で、姥堂川が聖域と俗世を分ける境に。つまり姥堂川に架る布橋は、聖域

芦峅寺閻魔堂

芦峅寺閻魔堂

富山県立山町、立山登拝道の入口、芦峅寺(あしくらじ)の姥堂川に架かる布橋は、聖域と俗世の境とされてきた橋。その布橋の東(俗世側)にある閻魔堂(えんまどう)は、立山が女人禁制だった時代に、秋の彼岸に齋行される『布橋灌頂会』(ぬのばしかんじょう

善道坊

善道坊

富山県立山町、立山登拝の基地として栄えた芦峅寺(あしくらじ)にはかつて33の宿坊がありましたが、現存する貴重な往時の宿坊建築が善道坊。集落内にあったものを富山県立立山博物館のまんだら遊苑に移築保存したもので、内部には江戸時代の宿坊関係資料が

 

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