室町時代の禅僧で水墨画でも名高い雪舟(せっしゅう)。大内氏の遣明船で明へ渡航し、帰国後、西国各地に雪舟庭園を作庭しています。現存する雪舟庭のうち、医光寺、萬福寺(以上、島根県益田市)、常栄寺(山口県山口市)、旧亀石坊庭園(福岡県添田町)の4つの庭が「雪舟四大庭園」に数えられています。
「旅によって禅を切り開いた」雪舟
有名な雪舟ですが、実は、その生い立ちや、修行時代のことは歴史的な史料も少なくよくわかっていません。
しかし、後世の芭蕉が雪舟を師と仰いだことも、雪舟が旅好きだったこともその要因のひとつだったのかもしれません。
雪舟(本名は小田等楊・おだとうよう)は、応永27年(1420年)、備中国赤浜(現・岡山県総社市)に生誕。
京の相国寺に入って画を学んだ後、享徳3年(1454年)頃、大内氏を頼って周防国(現・山口県)に移り(雲谷庵で暮らしています)、寛正6年(1465年)頃から雪舟を名乗ります。
応仁元年(1467年)に遣明船で明へ渡航(48歳)、文明元年(1469年)に帰国し、周防国、豊後国(現・大分県)、石見国(現・島根県)などで水墨画を描き、庭を築いています。
永正3年(1506年)、87歳で没したとされ、没地は現在の島根県益田市であるという説が有力。
国宝となる墨画も多いのですが、雪舟作庭と伝承される庭も芬陀院(ふんだいん/京都・東福寺塔頭)、終焉の地・益田に医光寺、東福寺、さらに小川家雪舟庭園(島根県江津市)、常栄寺(山口県山口市)、普賢寺(ふげんじ/山口県光市)、中世に西国随一の修験の霊山として栄えた英彦山(ひこさん)の旧亀石坊庭園(福岡県添田町)、魚楽園(ぎょらくえん/福岡県川崎町)などが知られています。
京都に雪舟庭園が少ないのは、応仁の乱で荒廃した京を避け、周防国を中心に北九州にも勢力を伸ばした大内氏の元や、戦禍の及ばない石見国(現・島根県)で暮らしていたから。
「旅によって禅を切り開いた」といわれる雪舟らしい移動距離と活躍です。
雪舟の四大庭園を鑑賞するなら、荒廃した京都、室町中期には将軍、天皇をしのぐほどの財力、勢力を有した大内氏という歴史的な背景を頭に入れておきましょう。
また、益田市に残される雪舟庭園のうち医光寺庭園は、武家様式でおめでたい鶴亀の庭、そして萬福寺庭園は中央に須弥山石を配した寺院形式。
クライアントの要望に応じた庭園を作庭している点にも注目を。
常栄寺雪舟庭
場所:山口県山口市宮野下2001-1
内容:大内政弘(おおうちまさひろ)が別邸の庭園を雪舟に依頼
形式:枯山水を用いた池泉廻遊式庭園
文化財指定:国の史跡及び名勝
医光寺
場所:島根県益田市染羽町4-29
内容:石見の国人領主・益田兼堯(ますだかねたか)の招きで文明10年(1478年)頃に雪舟が益田を訪れ、作庭したと伝承。
雪舟は文明年間(1469年~1487年)、医光寺の第7世住職に。
形式:池泉鑑賞半回遊式(武家様式の鶴亀の庭)
文化財指定:国の史跡及び名勝
萬福寺
場所:島根県益田市東町25-33
内容:文明年間(1469年~1487年)、医光寺の第7世住職となった頃に作庭と推測
形式:中央に須弥山石を配した寺院形式
文化財指定:国の史跡及び名勝
旧亀石坊庭園
場所:福岡県田川郡添田町英彦山1346
内容:文明8年(1476年) 頃、英彦山の霊仙寺塔頭(たっちゅう=子院)亀石坊の招きで豊後国(臨済禅の中心地、府内=現・大分市)から彦山(英彦山)に来山。文明11年(1479年)に作庭と推測。
形式:池泉鑑賞式庭園
文化財指定:国の名勝
【知られざるニッポン】vol.46 雪舟四大庭園を鑑賞しよう! | |
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