雲谷庵跡

雲谷庵跡

山口県山口市天花1丁目、瑠璃光寺(るりこうじ)の東に位置する雪舟(せっしゅう)のアトリエ跡が、雲谷庵跡(うんこくあんあと)。室町時代を代表する画僧・雪舟は、大内文化華やかかりし時代に、大内氏の遣明船で明に渡り3年間滞在、禅学、中国絵画を学んでいます。

雪舟は、西の京・山口を拠点に水墨画の名作・大作を描く

雲谷庵跡

雪舟は、康正2年(1456年)・37歳頃、大内家13代当主で周防・長門・筑前・豊前・肥前守護の大内教弘(おおうちのりひろ)の招きで山口へ移り、大内氏の庇護を受けて、寛正5年(1464年)頃までに、アトリエとなる雲谷庵を構え、寛正6年(1465年)には雪舟と号しています。

大内教弘は、10代当主・大内義弘(おおうちよしひろ)が始めた日朝貿易、日明貿易との独自貿易を続け、山口には京にも負けない華やかな文化が花開いていました。

応永元年(1467年)、雪舟は大内義弘の遣明船で中国・明の寧波に上陸、天童山景徳禅寺では「四明天童山第一座」の称号を得、彩色や破墨の画法を学び、大内義弘没後の文明元年(1469年)に帰国しています。

明からの帰国後も、第14代当主・大内政弘(おおうちまさひろ)の庇護のもと雲谷庵を拠点に、各地を旅して87歳で没するまで水墨山水画の完成に励んでいます。
京は応仁元年(1467年)〜文明9年(1477年)までの11年に渡り、応仁の乱の戦場となり(大内政弘は西軍の主力)、それを避ける目的もあったと推測できますが、大内政弘の治世において、山口が西の京と呼ばれる文化芸術的な基礎が築かれています。


縦39.7cm×横1592.0cm、国宝の大作『四季山水図巻(山水長巻)』(毛利博物館蔵)は、文明18年(1486年)の銘があり、雪舟が67歳のとき、雲谷庵で大内政弘のために描いたのだとか(大内氏の滅亡後に毛利家の所有に)。
文亀元年(1501年)頃には、丹後国の天橋立に赴き、有名な『天橋立図』を描き、永正3年(1506年)、87歳で没しています。

雲谷庵跡にある現在の茅葺きの庵は、明治17年に復元されたもの。

雲谷庵跡
名称 雲谷庵跡/うんこくあんあと
所在地 山口県山口市天花1-12-10
関連HP 山口観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR山口駅から防長交通バス競技場行き、またはJRバス東萩・小郡行きなどで7分、野田学園前下車、徒歩5分
ドライブで 中国自動車道山口ICから約8km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 山口市教育委員会事務局文化財保護課 TEL:083-920-4111/FAX:083-920-4112
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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