【知られざるニッポン】vol.58 雛人形の正しい置き方は!?

3月、4月の『雛まつり』シーズンを迎えると、テレビなどで「雛人形、男雛と女雛は、男雛が左に」などと報道されていますが、実は、男雛と女雛の立ち位置は、そんなに単純な話ではありません。さらにいえば、『雛まつり』は、旧暦3月3日(西暦の4月頃)なので桃の節句なのです。新暦の3月3日は、実はフライングともいえるのです。

雛人形のルーツは、「雛遊び」

雛あそび乃記
『雛あそび乃記』挿絵の「雛遊び」

雛人形の置き方を紹介する前に、まずは、雛人形の歴史を紐解きます。
『雛まつり』のルーツは、平安時代、宮中や公家が人形で遊ぶ「雛遊び(ひいなあそび)」が隆盛したことが起源だと推測できます。
これは、貴族社会の「大人のたしなみ」だったのですが、それが子供たちへと浸透し、江戸時代になると宮中や大名家では、雛人形と雛道具を使った「遊び」が、貴族社会、武家社会における作法を遊びから自然に身につけるという、女の子の「嫁入りの準備」として使われるようになったのです。

つまり、「雛遊び」を起源に、京の宮中、貴族社会から、江戸時代に全国の大名家へと広がったのが『雛まつり』なのです。

江戸時代中期の寛延2年(1749年)、度會直方(わたらいなおかた)が記した『雛あそび乃記』(ひいなあそびのき)では、「雛遊び」を研究・分析した子女向けの啓蒙書ですが、『雛まつり』は、人形で遊びながらその身の災いを除き、同時に将来むつまじい夫婦となるため、女性の役割を学ぶためのものとしています。
さらに、雛(ひいな)とは小さいの意味だから、決して大きな雛人形を飾る必要はないと戒めてもいます。
『雛あそび乃記』に掲載される図版を見ると、男雛が左、女雛が右に描かれています。

念のため、1688年(貞享5年)、貝原好古(かいばらこうこ)著『日本歳時記』 の3月3日の行事の挿絵を確認すると、男雛が右、女雛が左と、『雛あそび乃記』の配置とは逆になっているのです。
元禄7年(1696年)刊行の嶋順水編『俳諧童子教』 (はいかいどうじきょう)をチェックすると、男雛が右、女雛が左と『雛あそび乃記』と同じ。
宝永9年(1709年)、奥村政信著『紅白源氏物語』 の挿絵を見ると男雛が右、女雛が左。
『日本歳時記』、『俳諧童子教』、『紅白源氏物語』ともに掲載された雛人形は立ち雛で、江戸庶民の遊びでは、置き方に定めがなかったことがわかります。
享保2年(1716年)、江島其碩『世間娘気質』 の挿絵は、座り雛と立ち雛が描かれ、ともに男雛が右、女雛が左。
江戸時代の雛人形は、必ずしもではないけれど、男雛が右、女雛が左が多かったことが判明します。

伝統的な「親王飾り」では男雛は右!

話を京の貴族社会の「雛遊び」に戻します。
『源氏物語』にも「雛遊び」は登場し、
「いつしか雛をしすゑてそそきゐたまへる、三尺の御厨子一具(ひとよろい)に品々しつらひすゑて、また、小さき屋ども作り集めてたてまつり奉へるを、ところせきまで遊びひろげたまへり」 。
と記されています。

では、この時代に男雛、女雛の配置はどうだったかといえば、男雛を向かって右、女雛を向かって左に飾りました。
これを「親王飾り」といい、男雛、女雛一対を飾るだけの時代(段飾りが盛んになったのは17世紀後半から18世紀初頭、元禄年間以降です)には、男雛が右がセオリーだったのです。
ちなみに、親王とは皇位継承権を有する皇族のこと。

日本古来の風習では、太陽が昇る方向が上座。
京都御所を正面(北)に見て、天皇は向かって右(東側)に着座したことに由来すると考えられています。
マナー教室の先生が、「左が上位、右は下位」で、「左上右下(さじょううげ)が日本の伝統礼法」なんていいますが、実はこれも大間違いなのです。
あくまで親王が南面して着座した際に(「天子は南面し臣下は北面す」という中国伝来の教え)、対面した臣下を天皇から見て日が昇る方角(東側、つまり左手側)に左大臣、その反対側(右手側)に右大臣を配置したことに由来するだけで、単に「左側が偉い」というわけではなく、むしろ「太陽の方向に座る人が上位」(「あなたを重用しています」という意思表示)と考えるのが正しい解釈です。
歌舞伎などの古典芸能などで、舞台の上手(かみて)を客席から舞台に向かって右側、下手を左にし、身分の高い者が上手に座し、身分の低い者が下手から登場(つまりは「右上左下」)するのも上手が東、下手が西、客席側は南とされることが原則となっているからなのです。

テレビに登場する、マナー解説者は、このあたりの歴史的な背景を無視、あるいは歪曲するために、「マナーを守るためのマナー」が教えられてしまうのです。

グローバル時代なら「男雛は右」!?

さてさて、話を雛人形に戻せば、皇室、公家、そして大名家などは、基本的に「親王飾り」で、男雛は右に置きます。
実際に、全国のイベントを確認すると京都だけでなく滋賀県などでも、やはり男雛が右というケースが多いようです。

ところが、東京など関東では、男雛を左に置いている場合が一般的。
テレビでも「男雛が左です」なんて解説が横行しています。

男雛が向かって左という風習は、明治時代に西洋化が進み、大正元年7月30日の京都御所で行なわれた大正天皇の即位の礼で、天皇が向かって左、皇后が右に立ったことが由来ともいわれています。
大正天皇即位時の内閣総理大臣は、明治初年にパリに留学した経験のある西園寺公望(さいおんじきんもち)でした。

グローバル化が叫ばれる現代、「ユニバーサルデザイン」に注目すれば、世界中の国際空港のトイレは、向かって右が男性、左が女性。
これを雛人形に活かせば、必ずしもテレビで教える「男雛は左」が正しいわけではなく、日本古来の伝統的には「男雛は右」、グローバル社会を意識しても「男雛は右」ということがわかります。

置き方に決まりはない雛人形ですが、実は、置き方にこだわることも必要なのかもしれません。
新暦で3月3日に出してしまうと、梅の節句になるので、桃の節句を活かすなら、ぜひ旧暦で飾ることをおすすめします。

 

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ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。

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