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【知られざるニッポン】vol.66 日本のポンペイは、渋川市にあった! 

日本のポンペイは、渋川市にあった!

古墳時代の6世紀初頭、榛名山二ツ岳の大爆発による火砕流と、軽石であっという間に埋没したのが、榛名山の山麓にあった25ヶ所の集落。古代の集落が、火砕流や降灰に埋没し、当時の生活が判明するというまさに「日本のポンペイ」ともいえる遺跡群、これまで知られなかったのは、埋まっていたから!

日本列島の古墳時代の生活を知るタイムマシンの役割も

「甲を着た古墳人」(レプリカ)/群馬県立歴史博物館

これまで「日本のポンペイ」といわれていたのは、同じ群馬県、浅間山の麓にある鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)。
天明3年7月7日(1783年8月4日)の浅間山の噴火による土石なだれで、当時の鎌原村が埋没し、570人ほどの村民のうち、477名もの人命を失っていますが、運良く、高台の鎌原観音堂へと逃げた93名のみが助かったこと(石段途中で息絶え、埋没した人も)、そして近世の出来事なので、詳細な記録があることから「日本のポンペイ」といわれてきました。

実際のポンペイの悲劇は、西暦79年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生。
古代都市のポンペイが火砕流に焼き尽くされ、火山灰に埋まったことで、当時の生活がありのままに残された遺構です。
つまり、鎌原観音堂とは、火山災害という共通性、浅間山とヴェスヴィオ山の山容が似ているという点はあるものの、「古代人の生活が火山灰に包まれて、後世まで残された」という重要な部分では大きな違いがあるのです。

鎌原観音堂に対して、6世紀初頭(古墳時代後期)、榛名山二ツ岳の噴火で埋没した古墳時代の集落が、群馬県渋川市の榛名山噴火関連遺跡。
榛名山二ツ岳の爆発は2回あり、初めの噴火では火山灰を、二度目の噴火では大量の軽石を噴出、山麓の古墳人の集落を埋め尽くしたのです(厚いところでは2mも堆積)。

平成24年11月19日、渋川市の金井東裏遺跡からは、千数百枚もの小さな鉄板をつなぎ合わせた当時の最先端の武具・小札甲(こざねよろい)を着た40歳代の男性の人骨が出土、「甲を着た古墳人」(よろいをきたこふんじん)と話題になりました。

さらに金井東裏遺跡の南400mの位置にある金井下新田遺跡からは、「首飾りをした古墳人」が集落域(竪穴建物)で出土していますが、墓域以外で首飾りをした状態で人骨が見つかるのは極めて稀。
火砕流に襲われたままに、その姿が残されたと推測できるのです。

こうした遺構が発見されたのは、平成26年4月〜平成29年3月に行なわれた国道353号金井バイパス(上信自動車道)の工事による発掘調査で。
道路建設による発掘調査が、火山灰に埋もれた遺跡から古墳人を、1500年の時代を経て蘇らせたのです。

同じ渋川市内の白井遺跡群からは、軽石層の下から6世紀中頃の馬の足跡が数万個も出土し、帰化人が多数の馬を飼育していたという姿が浮き上がってきました。

黒井峯遺跡は、昭和57年、軽石の採取時に発見された大規模な集落跡ですが、災害直前(6月頃)のムラの景観、そして噴火にあった人々の行動が判明しています。

こうした榛名山噴火関連遺跡は、25ヶ所あり、火山灰や軽石の下から、世界的に見ても稀なほど膨大な情報が提供され、「古墳時代の暮らし、ライフスタイル」が明らかになってきたのです。

榛名山噴火関連遺跡 25遺跡

史跡名(県、国の史跡指定)所在地遺跡の形態
大崎古墳群大崎古墳
中村遺跡中村古墳時代の水田・畑など
有馬条里遺跡八木原古墳時代の水田・畑など
中筋遺跡(群馬県の史跡)行幸田集落・古墳など
空沢古墳群行幸田空沢古墳群(噴火以前の古墳が43基)
石原東古墳群石原古墳
東町古墳東町古墳
坂下町古墳群坂下町古墳
金井丸山古墳金井古墳
金井諏訪古墳金井古墳
金井東裏遺跡金井集落、古墳/「甲を着た古墳人」出土
金井下新田遺跡金井集落、墓など/「首飾りをした古墳人」出土
白井遺跡群白井馬の放牧地/「馬の足跡」など出土
黒井峯遺跡(国の史跡)北牧集落、畑など/災害直前(6月頃)のムラの景観判明
丸子山古墳北牧積石塚
吹屋糀屋遺跡吹屋古墳時代の集落、畑、水田など
吹屋恵久保遺跡吹屋古墳時代の集落、畑など
田尻遺跡中郷古墳時代の集落
中郷田尻遺跡中郷古墳、集落、畑
中ノ峯古墳(群馬県の史跡)中郷古墳(直径9mの円墳)、石室内から人骨4体出土
西組遺跡中郷古墳時代の集落
浅田遺跡中郷縄文時代の配石遺構の上に、古墳時代の集落、古墳が
宇津野・有瀬遺跡上白井古墳群(円墳、積石塚)、埋め戻されています
宮田諏訪原遺跡赤城町宮田古墳時代の集落、祭祀跡
津久田甲子塚古墳赤城町津久田古墳(直径12.5mの円墳)、横穴式石室
個人住宅建設などで発見された遺跡など、見学不可の場所もあります
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

中筋遺跡

群馬県渋川市にある、古墳時代の榛名山噴火関連遺跡のひとつが、中筋遺跡。6世紀初頭に噴火した榛名山二ツ岳の火砕流で被災し埋没した古墳時代の集落跡の遺構で、竪穴式住居4軒、平地式建物5棟、祭祀遺構、垣根、道、畠などが発掘され、「日本のポンペイ」

金井東裏遺跡

群馬県渋川市金井にある金井遺跡群のひとつが金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)。平成24年から行なわれた調査で榛名山の爆発による火砕流に埋没した「甲を着た古墳人」(よろいをきたこふんじん)が発掘され(古墳時代の遺跡から、小札甲を纏った状態

金井下新田遺跡

群馬県渋川市、金井遺跡群のひとつで、「甲を着た古墳人」が出土した金井東裏遺跡の南400mほどに位置する古墳時代の集落遺跡が、金井下新田遺跡(かないしもしんでんいせき)。6世紀初頭の榛名山噴火による堆積物の下から、5世紀後半の鍛冶遺構、土器集

黒井峯遺跡

群馬県渋川市にある、古墳時代の榛名山噴火関連遺跡のひとつが黒井峯遺跡。吾妻川の河岸段丘上にある遺跡で、西南10kmほどのところにある榛名山二ツ岳の大爆発(6世紀初頭)で噴出した大量の軽石によって、短時間のうちに埋没した古墳時代後期の集落跡。

中ノ峯古墳

群馬県渋川市北牧にある群馬県の史跡に指定される円墳が、中ノ峯古墳(なかのみねこふん)。直径9m、高さ1.95mという小さな古墳ですが、6世紀初頭の榛名山二ッ岳の噴火で、軽石に覆われ、盗掘を免れたために横穴式石室から人骨4体(成人3体・幼児1

 

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