日本三大怨霊とは!?

時の朝廷、そして世の中に恨みを抱いて亡くなったとされる菅原道真(すがわらのみちざね)、平将門(たいらのまさかど)、そして崇徳上皇(すとくじょうこう)の3人が、日本三大怨霊(にほんさんだいおんりょう)とされる人物です。平安時代の政治不安を背景にした御霊信仰(ごりょうしんこう)があります。

そもそも御霊信仰とは!?

怨霊となった崇徳上皇

非業の死(ひごうのし)を遂げた人物は、成仏できず、怨霊となることで、天変地異など様々な祟(たたり)が起こるとされ、逆に怨霊を神として手厚く祀ることでその心を鎮(しず)めさえすれば、逆に御霊(守護神)に転じるという考えが、御霊信仰です。
皇族の不慮の死、天変地異などはこの怨霊のせいだと考え、宮中でもその霊を鎮める御霊会(ごりょうえ)が行なわれたのです。
そうした信仰は9世紀頃からありましたが、のちに天満天神として全国に祀られた菅原道真はその代表といえるでしょう。

御霊は恨みをはらすために人々に疫病を振りまくことから、その怨霊を鎮めることが重要とされ、没後に栄転させたりしましたが、それでも祟が収まらないときには、神格化して、祀り上げたのです。

災厄をもたらさぬように外の世界へ送るための祭礼が御霊会(ごりょうえ)で、そうした信仰を御霊信仰と呼んでいます。

こうした京の都で隆盛した御霊信仰は、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)の祭と習合し、祇園御霊会へと発展します。
これが神仏習合の祇園信仰の始まりで、京の祇園感神院がその中心的な存在に。
現在の八坂神社です。
有名な『祇園祭』は、貞観11年(869年)の御霊会が起源なので、菅原道真が怨霊とされる40年ほど前のことです。

日本三大怨霊の筆頭に上げられる菅原道真は、藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(ざんげん)で九州の大宰府(だざいふ)に左遷され、実際には政務からも外された隠棲となり、太宰府で死去。

2人目の平将門は、承平5年(935年)、関東で反乱を起こし、朱雀天皇(すざてんのう)に対抗して「新皇」を称しましたが、藤原秀郷、平貞盛らによって討伐されています(有名な平将門の乱)。

最後の崇徳上皇は、鳥羽天皇の第一皇子で、第75代天皇、そして実権無き上皇となりますが、鳥羽法皇崩御の保元元年(1156年)、後白河天皇との権力争いに巻き込まれ(保元の乱)、権力闘争に敗れて讃岐(徳島県)に配流、配流先で崩御しています。

天神信仰の中心、北野天満宮
日本三大怨霊とは!?
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