南紀白浜(和歌山県白浜町)でもっとも古い温泉街である湯崎にあり、浴槽から大海原を眺望する開放感抜群の公共の露天風呂が崎の湯。「湯崎七湯」と呼ばれる万葉の昔から知られる温泉のひとつで、湯船は、昔のままの湯壺を使用しています。源泉は御幸(みゆき)2号で、泉質はナトリウム-塩化物泉。
海岸の砂岩の凹みが湯船に!
「湯崎七湯」は、崎の湯、屋形湯、阿波湯、疝気湯(せんきのゆ)、元の湯、浜の湯、礦湯(まぶゆ)の7湯。
いずれも海岸の岩場に自然湧出する温泉だったが昔ながらのスタイルでしたが、その昔ながらの雰囲気が現存するのは崎の湯のみ。
砂岩の凹みがそのまま湯船になるというワイルドなもの。
海を眺めながらの入浴を楽しむことができます。
源泉温度が高いため、加水して掛け流しとなっています(毎日、完全換水で清潔さが保たれています)。
ただし、風呂のお湯が海に流れるため、シャンプー、リンス、石鹸などの利用はできません。
創傷、慢性湿疹、リュウマチ性疾患、筋肉痛、関節痛などに特効があります。
日本三古湯に数えられる白浜温泉の原点
斉明3年(657年)9月、孝徳天皇の皇子・有間皇子(ありまのみこ)が、父の死後、政争に巻き込まれるのを避けるために心の病を装って崎の湯に逗留。
その有間皇子の勧めもあって、斉明4年(658年)10月15日〜斉明5年(659年)1月3日には、斉明天皇(女帝、皇極天皇が重祚)が皇太子・中大兄皇子(後の天智天皇)とともに行幸(逗留期間中に有間皇子の謀反が通報され、有間皇子は絞首刑に/『日本書紀』による)。
その後、天武14年(685年)に、「牟婁の湯は没れて出でず」と紀伊国司がわざわざ朝廷に報告しているので、台風などの影響なのか、皇室愛用の温泉が一時は荒廃していたことがわかります(『日本書紀』による)。
大宝元年(701年)には、女帝・持統天皇、文武天皇(持統天皇の孫)が行幸していますが(『続日本書紀』)、この時随行した大宮人が、藤白の坂(熊野古道)で有間皇子を偲んで詠んだ歌が、詠み人知らずとして万葉集に残されています(「藤白のみ坂を越ゆと白妙の我が衣手は濡れにけるかも」)。
その後、熊野詣での隆盛とともに、後白河法皇をはじめ、都の貴族たちが牟婁の湯に入浴しています。
崎の湯 | |
名称 | 崎の湯/さきのゆ |
所在地 | 和歌山県西牟婁郡白浜町湯崎1668 |
関連HP | 南紀白浜観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR白浜駅から明光バス町内循環線または新湯崎行きで12分、湯崎下車、徒歩5分 |
ドライブで | 阪和自動車道南紀田辺ICから約15km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 崎の湯 TEL:0739-42-3016 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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