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藤白神社

藤白神社

和歌山県海南市、藤白峠の麓にあり、創建は神話の時代(景行天皇の御代)ともいわれる古社が藤白神社(ふじしろじんじゃ)。社殿は万葉時代に斉明天皇が牟婁の湯(白浜温泉)行幸の際に創建されたと伝わる古社です。拝殿の東側には、全国の鈴木姓のルーツともなった鈴木氏の鈴木屋敷があり、鈴木さんの来訪が多い神社となっています。

景行天皇時代創建と伝わる古社は鈴木さんのルーツ

古くから「藤白王子」(藤代王子)として文献にも登場。
古道の難所・藤白峠の登り口に位置するため熊野三山の遙拝所として、王子(京から熊野三山までの参詣道の途中に、熊野の神仏が祀られ、参詣途上で神仏混淆的な儀礼を行なう場所)のなかでも格が高い五体王子のひとつとして重視されていました。
五所王子と呼ばれる神々(若一王子・禅師宮・聖宮・児宮・子守宮)が祀られたのが五体王子です。

王子という命名は、峯中修行者を守護する神仏は童子の姿をとるという修験道の思想に基づくもの。

主祭神は、饒速日命(にごはやひのみこと)。
藤代王子の旧址で、藤白権現、藤白王子権現、藤代神社などとも呼ばれていました。

境内にある藤白王子権現本堂には本地仏3体が祀られています。
阿弥陀如来は家都美御子大神、薬師如来は熊野速玉大神、千手観音は熊野夫須美大神の本地仏です。

本地仏とは、神仏習合の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)で、日本の神の本来の姿である仏のことで、日本の八百万神(やおよろずのかみ)は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん=仮に現れること)。
明治維新の神仏分離、廃仏毀釈までは藤代王子の神宮寺(神社を管理する寺)であった中道寺に安置されていたもの。

建仁元年(1201年)には後鳥羽上皇が数日間滞在して歌会を催し、それを書き留めた『熊野懐紙』(くまのがいし)でも知られています。
また聖武天皇が当地で皇子誕生を祈願したことから、子授けや健康、長寿の神様としても今も信仰を集めています。

ちなみに国内に鈴木さんが多いのは、神官である鈴木一族が、布教先に住み着いて次々と熊野神社を建立したため、さらに熊野信仰に憧れて、鈴木姓を名乗ったから。
ルーツである藤白神社は、さすがに氏神で「鈴木家御守」まで用意されています。

『紀伊国名所図会』に描かれた後鳥羽上皇の歌会
藤白神社
名称藤白神社/ふじしろじんじゃ
所在地和歌山県海南市藤白466
関連HP藤白神社公式ホームページ
電車・バスでJR海南駅から徒歩15分
ドライブで阪和自動車道海南ICからすぐ
駐車場20台/無料
問い合わせ藤白神社 TEL:073-482-1123
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材画像協力/和歌山県観光連盟

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