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八坂神社(築山御殿跡)

八坂神社(築山館跡)

山口県山口市上竪小路、龍福寺(大内氏館跡)の北側に、築山神社と並んで建つのが、八坂神社。応安2年(1369年)、大内氏9代・大内弘世(おおうちひろよ)はが京・祇園感神院 から勧請した祇園社で、もとは大内氏の迎賓館「築山御殿」(つきやまごてん)があった場所。龍福寺などとともに、大内氏館跡として国の史跡に指定。

『山口祇園祭』として大内文化を今に伝える祇園信仰の社

当初、社殿は竪小路に建立されましたが、水の上に遷座し、さらに、永正16年(1519年)、15代・大内義興(おおうちよしおき)が大神宮(現・山口大神宮)を高峯山麓に建立したとき、八坂神社も高峯山麓に移し、社殿を新築しました。

現存する本殿は、大内義興が高峯山麓に新築したもので、江戸時代末期の元治元年(1864年)、毛利氏が社殿を現社地(築山御殿跡)に移転しています。
本殿は三間社流造り、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、国の重要文化財。
本殿には13個の変化に富んだ蛙股(かえるまた=蛙がまたを広げたような形で荷重を分散させる部材)があり、その優美な姿から注目されています。

また本社の祭礼である『山口祇園祭』は、室町時代から600年も続く歴史ある祭り。
例年7月20日には、鷺舞(さぎまい)神事も奉納されています。

築山御殿(築山館・つきやまやかた)は、大内氏館の北側に位置し、外客接待の迎賓館として使われていました。
周囲に幅5.4mの堀を巡らし、内側に大きな池を掘り、掘り上げた土で築山を造成、林泉の美を誇ったと伝えられています。

大内氏館跡・築山跡・高嶺城跡・凌雲寺跡で国の史跡「大内氏遺跡 附(つけたり)凌雲寺跡」に指定されています。

八坂神社(築山御殿跡)
名称 八坂神社(築山御殿跡)/やさかじんじゃ(つきやまごてんあと)
所在地 山口県山口市上竪小路100
関連HP 山口観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR山口駅から徒歩15分
ドライブで 中国自動車道湯田温泉スマートICから約7km、山口ICから約8km
駐車場 史跡大内氏遺跡見学者用駐車場(無料)
問い合わせ 山口市観光交流課 TEL:083-934-2810
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大内氏館跡

山口県山口市大殿大路にある大内氏の居館跡が、大内氏館跡。西の京と称され中世に大内文化を花開かせた大内氏の居館は、大内弘世(おおうちひろよ)が周防(すおう)、長門(ながと)平定後、防長両国の守護となり、正平15年・延文5年(1360年)に本拠

高嶺城

山口県山口市上宇野令、標高338mの鴻ノ峰に築かれた中世の山城が、高嶺城(こうのみねじょう)。西の京として繁栄した大内氏ですが、戦国時代にはその権勢にも陰りを見せ、大内義長(おおうちよしなが)が山麓の居館に対し詰めの城として築いたもの。国の

凌雲寺跡

山口県山口市中尾にある大内氏遺跡の一部として国の史跡に指定されているのが、凌雲寺跡(りょううんじあと)。大内氏14代・大内義興(おおうちよしおき)が了庵桂悟(りょうあんけいご)を開山として、永正4年(1507年)頃に創建した菩提寺・凌雲寺の

 

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