山口県萩市、木戸孝允旧宅の先、江戸屋横丁のやや奥まったところに建つ真言宗御室派の寺、円政寺(えんせいじ)。鎌倉時代に大内氏の祈願所として現在の山口市円政寺町に創建され、慶長9年(1604年)、毛利輝元の萩城築城と同時に、萩城下に移転したもの。高杉晋作、伊藤博文が幼年時によく遊んだ場所としても有名です。
伊藤博文は少年時代に、この寺で修行
当初は塩屋町(現在の多越神社の地)にありましたが、神仏分離、廃仏毀釈で明治3年に現在の場所にあった真言宗・法光院(円政寺が山口にあった時代の塔頭・大乗坊が前身で、萩では満願寺の末寺)と合併するかたちで、移転(官軍だった長州藩の城下町・萩では廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、直後に呉服町の成就院も合併)。
境内にある金毘羅社は、法光院の時代からのもの。
神仏習合時代には金毘羅大権現を祀る金毘羅堂(讃岐の象頭山から勧請)で、法光院の西にあった田辺氏の屋敷神を法光院に遷したもの。
石鳥居には延享2年(1745年)の年号が刻まれており、江戸時代中期以前頃の移築ということに。
嘉永4年(1851年)、法光院住職・恵運は、従姉弟の林琴子の長男で11歳になる利助(後の伊藤博文)を1年半ほどの間、寺に預かり、雑用をしながら勉学にいそ勤(いそ)しんだのです。
その時に使用した背負子(しょいこ)や、レンガでできた硯、直筆の書などが展示されています。
文政3年(1820年)に寄進された木馬(神馬)は、高杉晋作や伊藤博文が遊んだと伝えられるもの。
安政5年(1858年)に城下の町民から寄進された石灯籠は、高さ5.07mで、山口県下最大の灯籠。
支えの猫足は、地震の際に動いて支えるという免震構造です。
『名探偵コナン』第519話 「明治維新ミステリーツアー(解読編)」に登場し、話題になりました。
金毘羅社の赤い天狗に注目!
金毘羅社の拝殿に巨大な天狗面が掲げられていますが、高杉晋作は幼少の際、家族に連れられ、この天狗面を見せられて物怖じしないようにしつけられたのだとか。
金毘羅で天狗?と疑問を感じる人も多いでしょうが、実は神仏習合時代の象頭山松尾寺金光院(神仏分離後の金刀比羅宮)は、金毘羅大権現の脇侍が大天狗、小天狗。
戦国時代末期に完成した金毘羅信仰は、修験道の影響を強く受け、金毘羅大権現は、天狗と一体でで、天狗信仰の聖地でもあったのです。
金毘羅信仰の神仏習合の初期の姿(本来の姿)を今に伝える貴重な遺構といえるのです。
尊皇攘夷思想が盛んだ薩摩(鹿児島県)と長州(山口県)では、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ(薩摩藩・島津家の菩提寺・福昌寺は、最盛期に千数百人の僧侶がいた大寺院でしたが、明治初年に廃絶、藩内の僧侶2964人と1066あった寺院の数が一時的にゼロに、現在も鹿児島県内に仏教由来の国宝、国の重要文化財はゼロ)、長州藩内でも僧侶が還俗、寺の檀家が強制的に神社の氏子にするなどの政策が進められました。
そういった廃仏毀釈の荒波のなか、金毘羅大権現は、金毘羅社と名を変え、誓願がかなって存続を認められ、貴重な近世の庶民信仰を今に伝えているのです。
円政寺 | |
名称 | 円政寺/えんせいじ |
所在地 | 山口県萩市南古萩町6 |
関連HP | 萩市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR萩駅から萩循環まぁーるバス西回りで19分、萩城城下町下車、徒歩3分 |
ドライブで | 中国自動車道山口ICから約45km |
駐車場 | 中央公園駐車場(146台/有料) |
問い合わせ | 円政寺 TEL:0838-22-3031 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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