山形県尾花沢市、大正ロマンの温泉街として有名な銀山温泉ですが、その温泉名の由来になっているのが、銀鉱洞(延沢銀山跡)。現在も温泉街から渓谷沿いに遊歩道を歩いた上流に延沢銀山の坑道跡が残され、その一部が銀鉱洞として公開され、坑道の見学も可能です。
江戸時代に繁栄した銀山の坑道を見学
江戸時代、石見国(島根県)の石見銀山、但馬国(兵庫県)の生野銀山とともに日本三大銀山に数えられた延沢銀山。
延沢銀山は、康正2年(1456年)、加賀の儀賀市郎左衛門(ぎがいちろうざえもん)が出羽三山詣での際、銀鉱石を発見したと伝えられ、江戸時代初期の寛永8年(1631年)〜寛永9年(1632年)頃が銀山の最盛期。
儀賀市郎左衛門発見はあくまで伝説で、史実としては、戦国時代の末期、延沢城の城主・延澤満定が銀山を開発したのではないかと推測できます。
寛永11年(1634年)には徳川幕府直轄の銀山となり、銀山町の人口も1万5000人を数えて繁栄。
坑道に水が湧き、水抜きがうまくいかず、銀の産出量も減った上、元禄2年(1689年)に大崩落が起きて廃鉱になっています。
周辺の延沢銀坑道として見学できる坑道は、銀山が比較的歴史が浅いままに閉山したことが幸いして(明治以降の近代的な鉱山開発が行なわれていません)、江戸時代初期のままに残されています。
銀山温泉が開かれた江戸時代はもちろん、明治時代でも尾花沢からは難路を1日がかりの移動を余儀なくされた山峡の地で、銀鉱石の搬出もままならなかったと推測できます。
銀山温泉街から徒歩15分の銀鉱洞(延沢銀山跡)は国の史跡(延沢銀山遺跡=史跡に指定されるのは間歩・坑道、疎水を含む東山地区の一部、銀山の守り神・山神神社、野辺沢氏の居城・延沢城跡の3エリア)。
照明完備なので、洞窟を探検するような気分で、江戸時代の鉱山を知ることができます。
ちなみに、銀山開発の過程で湧き出した温泉が、銀山温泉の始まりで、当初は鉱山で働く人達が湯に浸かり、明治以降は湯治場として発展したもの。
全国的に有名になったのは、国鉄のデスティネーションキャンペーン「紅花の山形路」(昭和57年度)とNHK連続テレビ小説『おしん』(昭和58年〜昭和59年放送)から。
銀鉱洞(延沢銀山跡) | |
名称 | 銀鉱洞(延沢銀山跡)/ぎんこうどう(のべさわぎんざんあと) |
所在地 | 山形県尾花沢市銀山新畑443 |
関連HP | 尾花沢市公式ホームページ |
電車・バスで | JR大石田駅から尾花沢市営バス銀山温泉行きで40分、終点下車、徒歩20分 |
ドライブで | 山形自動車道山形北ICから約50km |
問い合わせ | 尾花沢市商工観光課 TEL:0237-22-1111/FAX:0237-22-3222 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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