山梨県北杜市須玉町下津金、明治7年10月11日に開校した津金学校をミュージアムとして復元整備した施設が津金学校。明治6年に山梨県令として着任した(着任当初は山梨権令)藤村紫朗(ふじむらしろう)の指導の下で建てられた擬洋風建築で、設計は甲府の大工・小宮山弥太郎(こみやまやたろう)。
明治、大正、昭和と3代の校舎が現存!
山梨県令・藤村紫朗の指導の下で建てられた擬洋風の学校建築は、藤村式建築(ふじむらしきけんちく)と呼ばれています。
しかし、山梨県における擬洋風建築の学校建設は、山梨県や県令・藤村紫朗が洋風が条件と指示したわけでなく(和風でも可とされていました)、地元の棟梁が当時の流行を取り入れ、見様見真似でそれぞれの形を生み出したと推測されています。
それでも当時、山梨県内では住民の私財が投入され、労力奉仕などにより36校の藤村式建築が建設されているのです。
津金学校は、地元大工が施工を請け負い、開校当初から校舎の一部を津金村役場に転用していました。
戦時下の昭和16年に津金国民学校となり、戦後の昭和22年からは津金村立津金小学校として使用され(昭和30年に合併し須玉町立津金小学校に)、昭和60年、若神子(わかみこ)、穂足(ほたり)、多麻(たま)、江草(えぐさ)、岩下の5校が統合し、廃校に。
廃校時にはすでに老朽化で雨漏りするほどでしたが、復元工事が行なわれ、平成3年4月に津金公民館として再生、さらに平成4年3月からは須玉町歴史資料館として再生、現在に至ります。
館内には明治時代から昭和期の学校関連教材や郷土資料を展示。
津金学校(明治校舎)に隣接して、大正校舎(大正13年築)、昭和校舎(津金中学校として昭和28年に建築)と3代にわたる校舎が現存する貴重な場所となっており、観光的にも注目されるスポットです。
「三代校舎ふれあいの里」として、大正校舎はそば打ちやほうとう、農業など各種体験の施設「大正館」、昭和校舎は「イタリアレストラン ぼのボ~ノ」、「和食 古宮」、「おいしい学校の給食」、「パン工房」、宿泊施設(ダブルベット2台の入った洋室、和室がメイン、夕食は和または洋のレストランからセレクト)、地元栽培のハーブを使った「香りの湯」を備えた「おいしい学校」に再生されています。
山梨県内に現存する藤村式建築は、津金学校(北杜市、現・津金学校)のほか、睦沢学校(甲府市、現・藤村記念館)、舂米学校(富士川町、現・富士川町民俗資料館) 、尾県学校(都留市、 現・尾県郷土資料館)、室伏学校(山梨市、現・牧丘郷土文化館)の5ヶ所で、官公庁としては、東山梨郡役所庁舎が博物館明治村(愛知県犬山市)に昭和39年に移築され、現存しています。
津金学校 | |
名称 | 津金学校/つがねがっこう |
所在地 | 山梨県北杜市須玉町下津金2963 |
関連HP | 津金学校公式ホームページ |
電車・バスで | JR長坂駅・清里駅からタクシーで約20分 |
ドライブで | 中央自動車道長坂ICから約9km、または、須玉ICから約11km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 津金学校 TEL:0551-20-7100/FAX:0551-20-7105 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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