山梨県甲府市岩窪町にある臨済宗妙心寺派の寺、円光院。永禄3年(1560年)、武田信玄が、京から説三和尚を迎えて開山した寺で、信玄が定めた甲府五山のひとつ。寺の名は元亀元年7月28日(1570年8月29日)に没した三条夫人の法名に由来しています。
甲府五山で、信玄の正室・三条夫人の菩提寺
武田信玄の正室・三条夫人は、公家で左大臣・三条公頼(さんじょうきんより)の次女として、京・三条邸に生まれ、信玄との間に長男・義信、次男・竜芳、三男・信之、長女・黄梅院(北条氏政夫人)、次女・見性院(穴山梅雪夫人)を産み、信玄に先立つこと3年、50歳でその生涯を閉じています。
本堂西側には、三条夫人の墓所があり、三条夫人の菩提寺になっています。
三条夫人と信玄が不仲だったというイメージがありますが、これは井上靖の長編小説『風林火山』の創作。
円光院の葬儀記録に、快川和尚の夫婦仲が良かったとする言質が残されています。
寺宝の木造釈迦如来坐像は、三条夫人が武田家に嫁ぐ時に持参したという三条家に伝来の仏像。
昭和63年のNHK大河ドラマ『武田信玄』では、側室の湖衣姫の恋敵として描かれ(三条夫人役は南野陽子)、平成19年のNHK大河ドラマ『風林火山』では、井上靖原作ながら、原作とは異なる清楚で可憐なイメージで描かれています(三条夫人役は池脇千鶴)。
円光院には、信玄の軍陣での守り本尊だった刀八毘沙門天と勝軍地蔵も安置されていますが、元亀4年4月12日(1573年5月13日)、信玄が信州・駒場にて亡くなった時、円光院に安置せよと武田二十四将の一人・馬場信春に遺命されたものと伝えられています。
4月12日の信玄の法要と、正月3ヶ日にのみ御開帳となっています。
延享3年(1746年)に伽藍を焼失し、現在の本堂は昭和52年に、庫裡は平成11年に再建されたもの。
円光院近くに武田信玄の墓がありますが、その場所は信玄の側近中の側近で、夜伽(よとぎ)の相手など信玄から格別の寵愛を受けていた土屋昌続(つちやまさつぐ=土屋右衛門/武田二十四将)の館があったところ。
3年間秘密とされた信玄の死ですが、遺骸は密かに荼毘(だび)にされ、遺骨は昌続が甲府の館に持ち帰り埋葬されたと伝えられ、今も法要は円光院によって執り行われています。
信玄の遺骸は、3年後に掘り起こして、快川紹喜が信玄の菩提寺と定めた恵林寺に埋葬されたと伝わりますが(江戸時代には、甲府藩主・柳沢吉保が武田遺臣の後裔を自称、恵林寺の信玄霊廟を造営)、土屋昌続は、天正3年(1575年)、長篠の戦いで討ち死にしています。
武田信玄が京都五山や鎌倉五山に倣って定めた甲府五山(府中五山)は、円光院(正室・三条夫人の菩提寺)のほか、法泉寺(ほうせんじ/息子・勝頼が中興開基で、勝頼の歯髪を埋葬)、長禅寺(大井夫人の墓)、能成寺(武田氏第15代当主・武田信守の墓)、東光寺(息子・武田義信の墓)の5ヶ寺。
円光院から躑躅ヶ崎の居館跡・武田神社へは徒歩で15分ほどですが、他の4ヶ寺とは少し離れています(武田神社から法泉寺へは徒歩25分)。
円光院 | |
名称 | 円光院/えんこういん |
所在地 | 山梨県甲府市岩窪町500-1 |
関連HP | 円光院公式ホームページ |
電車・バスで | JR甲府駅から山梨交通バス武田神社経由積翠寺行きで7分、護国神社下車、徒歩15分 |
ドライブで | 中央自動車道甲府昭和ICから約8.5km、または一宮御坂ICから約15km |
駐車場 | 200台/無料 |
問い合わせ | 円光院 TEL:055-253-8144/FAX:055-253-8244 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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