身延山久遠寺と飛び地である七面山敬慎院(しちめんざんけいしんいん)を結ぶ道が、身延山追分道(身延往還)。その道筋にある赤沢宿(山梨県南巨摩郡早川町)は、巡礼者でにぎわった宿場町。南アルプスの山中に昔ながらの家並みが奇跡的に残され、国の重要伝統的建造物群保存地区になり、今も営業を続ける「江戸屋旅館」もあります。
身延山追分道(身延往還)の宿場町が現存!
中世(鎌倉時代)の頃から、聖地・身延山(みのぶさん=日蓮宗総本山)と霊場・七面山(延山を守護する鎮守神・七面天女を祀る)を結ぶ参道の宿場(身延山久遠寺〜身延山奥之院〜赤沢宿〜羽衣橋〜七面山/全長20km)として集落が誕生。
江戸時代初期、徳川家康の側室・お万の方(養珠院=徳川家康の側室で、紀伊徳川家の祖・徳川頼宣、水戸徳川家の祖・徳川頼房の生母)の尽力(女性として七面山に初の登拝)で七面山の女人禁制が解かれ、江戸時代中期からの富士講、身延講の隆盛を背景に、七面山への参詣者が急増したことから、赤沢宿は物資中継の拠点的な宿場として発展、明治初期には9軒もの旅籠(はたご=宿泊施設)が軒を連ねていました。
大正9年の身延駅開業で、七面山登拝は隆盛を極めますが、その後の道路整備により、戦後は訪れる人も減少。
それでも昭和50年頃までは実際に寺や宿坊への物資・荷物運搬にも携わっていました。
そんな南アルプス山中の宿場町の町並み、環境が現存し、伝統的建造物84戸を中心に、森林や畑を含む25.6haが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
軒下などに講中の定宿の印である講中札(板マネギ、マネギ札)が下がるのも、全国で身延講が組織され、七面山登拝で賑わった名残です。
赤沢宿内にある「清水屋」は再生され観光案内所、喫茶スペースを備えた休憩所として公開。
かつて旅籠として営業し、大阪方面に常連さん(関西の講中)が多かったと推測できる「大阪屋」は、「講中宿ゲストハウス 大阪屋」として再生。
民具など、昔の暮らしを今に伝えています。
ちなみに山梨県内で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるのは、赤沢宿のほか、甲州市塩山下小田原上条地区(養蚕の隆盛を今に伝える上条集落は、甲府盆地を眼下に望む山村集落)があります。
名称 | 赤沢宿(赤沢重要伝統的建造物群保存地区)/あかさわじゅく(あかさわじゅうようでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく) |
所在地 | 山梨県南巨摩郡早川町赤沢 |
関連HP | 早川町公式ホームページ |
ドライブで | 中央自動車道河口湖ICから約56km |
駐車場 | 公民館前駐車場など |
問い合わせ | 早川町教育委員会 TEL:0556-45-2547 |
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