滋賀県大津市の比叡山延暦寺、比叡山山上の横川(よかわ)地区に「角大師」(つのだいし)として知られる良源(元三大師、慈恵大師)を祀る四季講堂(元三大師堂)の前に立つのが、おみくじ発祥の地碑。実は、日本におけるおみくじのルーツは比叡山延暦寺で、考案したのが良源なのです。
元三大師が観音菩薩から授かった五言四句の偈文が始まり
比叡山延暦寺は、山全体が天台宗の修行の場所ですが、広大な寺域は延暦寺発祥の地で根本中堂のある東塔(とうどう)、東塔から北へ1kmあまりで、修行の堂「にない堂」で知られる西塔(さいとう)、さらに西塔から北に4kmで、円仁(慈覚大師)の開いた横川(よかわ)に分かれ、それぞれに本堂があります。
平安時代の康保3年(966年)、第18代天台座主(てんざいざす=天台宗の最高の位)となった良源は、良源の拠点である横川を独立させ、比叡山は東塔、西塔、横川の三地区の体制とし、比叡山中興の祖とも称されていますが、行基以来の大僧正(だいそうじょう)にまで上り詰めます。
その良源が、観音菩薩に祈念し授かった五言四句の偈文(げもん=観音菩薩の言葉)100枚が、おみくじのルーツ。
良源は100枚の偈文の中から引いた1枚で、進むべき道を読み取ることができ、多くの人を救ったと伝えられ、江戸時代初期、徳川3代に仕えた天海大僧正(慈眼大師)が良源(元三大師)のお告げで信州・戸隠(とがくし/現・長野市)で、偈文100枚を発見。
これが「元三大師百籤」(がんざんだいしひゃくせん)として天台宗寺院で広まり、さらに「観音百籤」として多くの寺でおみくじとして定着していったのです(東京・浅草寺のおみくじは、この「観音百籤」を今も使っています)。
現在、寺や神社で普通に見かけるおみくじにはさまざまなパターンがありますが、そのルーツが「元三大師百籤」、そして元三大師の偈文100枚ということなので、おみくじ発祥の地は、比叡山横川の四季講堂(元三大師堂)ということになるのです。
現在も四季講堂(元三大師堂)ではおみくじをひくことができますが、そのかたちは、少し変わっています。
まず、相談したい悩み事、自身の迷いなどを紙に記入します。
その内容をもとに僧侶が面談、おみくじを引くべきかどうかを判断。
引くことが決まると、僧はお経を唱え、比叡山の執事がおみくじを引きます。
その後、おみくじの内容(元三大師の回答)を僧侶が解説してくれるというシステムで、1000年以上前の平安時代に行なわれていた形式を今もなお踏襲しているのです。
つまりは、迷い事や人生の転機などを、元三大師の導きに頼るというもので、吉凶を占うものではなく、あくまでも行動の指針ということに。
平安時代から脈々と続く、比叡山・横川のおみくじ。
そこには良源(元三大師)の「思い」も込められているのです。
全国の寺で見かけるおみくじは、「観音百籤」をベースに吉凶を占うスタイルになっているのは、秘仏御開帳とともに、たまには寺にも来てくださいという、寺のPR活動の一環として誕生したのだとも推測できます。
良源(元三大師)は「角大師護符」でも有名
比叡山に空前の繁栄をもたらした良源は、強い法力を持っていたといわれ、加持祈祷に優れていたことから、「如意輪観世音菩薩(救世菩薩)の化身」、「不動明王の化身」とも称されるようになったのです。
如意輪観世音菩薩と不動明王の共通点は「人々を世の苦しみから救う」こと。
後世に「降魔大師」(ごうまだいし)、「角大師」(つのだいし)、「豆大師」(魔滅大師・まめだいし)などと呼ばれるのは、その法力と霊験あらたかな逸話から。
永観3年1月3日(985年1月26日)、良源は没しますが、死後は、良源自身が信仰の対象となっていくのです。
正月3日に没しているので、元三大師(がんざんだいし)と呼ばれるようになり、疫病や飢饉の防止に強大な法力を持つ良源(元三大師)が、鬼の姿で人々を守る「角大師護符」(つのだいしごふ)、「降魔大師護符」、紙に33体の豆粒のような大師像を表した「豆大師護符」も流布しています。
「角大師護符」を授与してくれる寺も多いので、寺に参詣する際にはぜひ確認を。
「角大師護符」は、玄関に貼ってすべての災厄を退け、「降魔大師護符」は身体など悪いところから災厄を取り去り、「豆大師護符」は水回りを守護と役割も違うので、注意が必要。
おみくじ発祥の地は比叡山に! | |
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