甲州=山梨県、信州=長野県、越後=新潟県の甲信越エリアの「日本100名城」は全部で9城。戦国時代は、武田信玄の甲斐、上杉謙信の越後、そして信玄の侵攻により信玄と謙信が激突した信濃という激動の時代でしたが、江戸時代には信濃も越後も多くの藩が立藩し、それぞれの藩庁としての城が築かれています。
戊辰戦争で越後の諸藩は、幕府方の奥羽越列藩同盟を結成し、新政府に対し最後まで抵抗姿勢を示したため、北越戦争で長岡城は焼失。本丸跡の東部分に長岡駅が開業したので、本丸に新幹線駅があるという状態になっています。
山梨県の名城
山梨の名城は戦国時代の甲斐国の覇者、武田信玄の館だった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)と、藩政時代に甲府藩の藩庁となった甲府城です。躑躅ヶ崎館は現在、武田神社となっています。甲府駅近くに位置する甲府城は中央本線によって分断されていますが、公園となって復元が進んでいます。
武田氏館(武田神社)
甲斐国守護武田氏の居館跡で、「武田氏館跡」として国の史跡に指定。築城したのは甲斐国を統一した武田信虎(武田信玄の父)。
映画、そして大河ドラマ『風林火山』でおなじみの信玄の居館です。
山梨県甲府市
甲斐国
甲府城
舞鶴城(まいづるじょう)と呼ばれる美しい城で、江戸城に危急の事態が起こった際に、将軍家が逃げ込むことを想定していました。築城を命じたのは徳川家康ともいわれていますが、豊臣時代と推測されています。
山梨県甲府市
甲斐国
長野県の名城
信州(信濃国)と総称される長野県ですが、実は江戸時代には途中途絶を含めてなんと大小計19藩が置かれてりました。
廃藩置県の時点でも松本藩、上田藩、松代藩、飯山藩、小諸藩、岩村田藩、龍岡藩(田野口藩)、高島藩、高遠藩、飯田藩、須坂藩と11之藩が立派していました。幕府から正保国絵図の作成を命じられた藩は、松代藩、上田藩、飯山藩、松本藩、飯田藩の5藩です。
100名城に選定されるのは松代城、上田城、小諸城、松本城、高遠城の5城で、諏訪湖の「浮城」といわれた高島城、飯田城、飯山城、「五稜郭」の龍岡城も選に漏れる激戦区となっています。
松代城
戦国時代に武田信玄が上杉謙信に対抗する拠点として築城。江戸時代にはNHK大河ドラマ『真田丸』にも登場の真田信之(大泉洋)が上田から転封し、明治維新まで真田家の居城となりました。六文銭の旗が立っているのはそのため。
長野県長野市
信濃国
上田城
真田昌幸(真田幸村の父)が築城し、その子・真田信之が初代の藩主となった上田城。まさに大河ドラマ『真田丸』の真田家の本拠地。
関ヶ原の合戦時には徳川秀忠率いる徳川軍の本隊を大いに手こずらせ、秀忠の関ヶ原到着遅れを招いています。
長野県上田市
信濃国
小諸城
戦国時代に武田信玄が山本勘助に命じて築かせたと伝わる武田家の信濃攻略の拠点となった城。関ヶ原合戦時の上田攻めでは徳川秀忠が小諸城二の丸に本陣を構えています。大手門よりも本丸が低い位置にあるため、「穴城」と呼ばれています。
長野県小諸市
信濃国
松本城
松本藩の藩庁でもあった松本城は、戦国時代末期に建築された天守が現存し、国宝5天守のひとつに。二の丸、本丸部分が公園となっており、本丸御殿と二の丸御殿は礎石が残されています。残念ながら三の丸は市街化され、外堀もほとんど埋め立てられています。
長野県松本市
信濃国
高遠城
「天下第一のさくら」と、桜の名所として名高い高遠城ですが、江戸時代には高遠藩の藩庁だった城。戦国時代には高遠氏の拠点で、その後は武田信玄の信濃攻略の拠点としても機能しました。ここから天竜川沿いに下れば、三河の長篠城です。
長野県飯田市
信濃国
新潟県の名城
江戸時代の越後国には、高田藩、糸魚川藩、椎谷藩、長岡藩、与板藩、村上藩、新発田藩、三日市藩、黒川藩、村松藩、三根山藩さらには陸奥上山藩、陸奥会津藩、伊勢桑名藩などの「飛び地」や天領もあって複雑。そんな越後で100名城に選ばれているのは、新発田藩の新発田城と中世(藩政時代以前)に上杉家の居城だった春日山城です。
新発田城
溝口氏が藩主を務めた新発田藩の藩庁。城郭の所要な部分が陸上自衛隊の基地となっているちょっと風変わりな城が新発田城。三階櫓も復元されてはいますが、基地内のため見学はできません。二の丸隅櫓・本丸表門・辰巳櫓は内部の見学が可能。
新潟県新発田市
越後国
春日山城
長尾為景、晴景、長尾景虎(上杉謙信)、上杉景勝と4代にわたる居城。上杉謙信の居城としてNHK大河ドラマ『天と地と』の舞台ともなる城です。福島城の築城で廃城となっていますが、その福島城も高田城の築城で、短い運命の城となっています。
新潟県上越市
越後国
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