山梨県四大名城とは!?

山梨県四大名城

山梨県内の城のなかで、日本100名城に選定されるのは武田氏の居館だった武田氏館(躑躅ヶ崎館=現・武田神社)と甲府藩の藩庁となった甲府城です。続日本100名城が、武田勝頼が築いた新府城、そして武田氏館の詰城の要害山城で、以上の4つが山梨県四大名城といえる城です。

武田氏館|日本100名城

所在地:山梨県甲府市古府中町2611
築城年:永正16年(1519年)
築城者:甲斐守護・武田信虎(信玄の父)
主な城主武田信虎、武田信玄、武田勝頼
史跡:国の史跡
遺構:石垣、土塁、水堀、空堀、土橋など
備考武田氏館跡に武田神社が鎮座
要害山城はいざというときの詰城

武田神社(躑躅ヶ崎館跡)

大正8年、武田信玄を祭神として創建された神社で甲斐の国の総鎮守。場所は武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代、63年間の居城だった、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡。1575(天正3)年に長篠の合戦で大敗した勝頼が、館を捨て、新府城に移るまで武

甲府城|日本100名城

所在地:山梨県甲府市丸の内1丁目地内
築城年:天正11年(1583年)
築城者:徳川家康
主な城主:豊臣秀勝(豊臣秀吉の甥)、浅野長政・幸長父子、徳川義直(家康の九男)、徳川忠長(秀忠の次男)、徳川綱重(家光の三男)、徳川綱豊(綱重嫡男でのちの6代将軍・徳川家宣)、柳沢吉保
史跡:国の史跡
遺構:石垣、堀
備考:本丸一帯は舞鶴城公園として整備され、日本の歴史公園100選に選定
稲荷櫓、鍛冶曲輪門、内松陰門、山手御門、鉄門を復元

甲府城

甲斐国の府中という意味で武田信虎が居館を躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)に移した際に甲府と名付けられましたが、現在の甲府駅近くにある甲府城は、豊臣時代に築城以降の近世の城跡。江戸時代には徳川家の西への守りとして機能しました。本丸一帯は舞鶴城公園

新府城|続日本100名城

所在地:山梨県韮崎市中田町中條上野城山
築城年:天正10年(1582年)
築城者:武田勝頼
主な城主:武田勝頼
史跡:国の史跡
遺構:土塁、堀
備考:対織田・徳川連合軍への対抗手段として、武田勝頼が躑躅ヶ崎館から居館を新府城に移す
本丸跡地には藤武稲荷神社が鎮座

新府城

新府城

山梨県韮崎市にある中世の平山城が新府城。天正3年(1575年)、長篠の戦いで武田勝頼が織田・徳川連合軍に敗れた後、甲斐国の領国支配が強化され、天正9年(1581年)、穴山信君(あなやまのぶただ)の進言で築城された城が、新府城です。国の史跡に

要害山城|続日本100名城

所在地:山梨県甲府市上積翠寺町
築城年永正17年(1520年)
築城者甲斐守護・武田信虎(信玄の父)
主な城主武田信虎、武田信玄、武田勝頼=躑躅ヶ崎館の詰城
史跡:国の史跡
遺構:堀切、竪堀、石垣、土塁、郭など
備考:武田信玄生誕の城といわれ、積翠寺に産湯の井戸が現存

要害山城

要害山城

山梨県甲府市にある中世の山城が要害山城(ようがいやまじょう)。武田氏館、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた=現在の武田神社)の詰城(つめのしろ)として要害山に築かれた城で、永正17年(1520年)、武田信玄の父、武田信虎(たけだのぶとら)の築城

山梨県四大名城とは!?
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日本100名城 甲信越9城

甲州=山梨県、信州=長野県、越後=新潟県の甲信越エリアの「日本100名城」は全部で9城。戦国時代は、武田信玄の甲斐、上杉謙信の越後、そして信玄の侵攻により信玄と謙信が激突した信濃という激動の時代でしたが、江戸時代には信濃も越後も多くの藩が立

 

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