甲府城

甲斐国の府中という意味で武田信虎が居館を躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)に移した際に甲府と名付けられましたが、現在の甲府駅近くにある甲府城は、豊臣時代に築城以降の近世の城跡。江戸時代には徳川家の西への守りとして機能しました。本丸一帯は舞鶴城公園として整備され、「日本100名城」「日本の歴史公園100選」に選定。

本格的築城は豊臣政権の時代に

本丸の見事な石垣
天守台の石垣

武田氏を滅ぼした織田信長は、織田軍の軍艦・河尻秀隆(かわじりひでたか)にそのまま甲府の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を守らせます。
徳川家康は、織田信長が本能寺の変で没後、甲斐国を平定。

さらに家康は1583(天正11)年、平岩親吉(ひらいわちかよし/徳川十六神将)に命じて甲府城の築城を開始しています(ただし、どこまで城郭が完成したかは定かでありません)。
甲府城の場所は、武田氏の治世(中世)には一条忠頼(いちじょうただより=平安時代末期の武将)の居館、忠頼の死後は菩提寺の一蓮寺があった地です。

甲府城は、家康の関東移封に伴い豊臣秀勝(豊臣秀吉の甥)が城主に。
1593(文禄2)年、浅野長政・幸長父子が城主の時に、城が完成したと推測されています。

江戸時代の初めには関東を守る拠点として、徳川義直(家康の九男)、徳川忠長(秀忠の次男)、徳川綱重(家光の三男)、徳川綱豊(綱重嫡男でのちの6代将軍・徳川家宣)と徳川家の城となります。
江戸でもしものことがあった際には、八王子から甲州街道を西に逃げ、甲府城に入るというのが徳川将軍家の想定する脱出ルートだったのです。

本丸一帯は明治37年に公園に

1704(宝永元)年、徳川綱豊が将軍世嗣として江戸城に入り、徳川家宣と改名すると、甲府城には柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が入城。
1724(享保9)年、吉保の子・柳沢吉里(嫡男)が大和郡山へ転封されると、甲斐国は幕府領(天領)となって甲府勤番が設置されます(幕末には甲府城代に変更)。
明治維新では明治元年、板垣退助らが無血入城し、明治6年に廃城になっています。
幕府方の城郭だったこともあり、中央本線開通時に城が南北に分断されています。
明治37年に本丸一帯は「舞鶴公園」(現・舞鶴城公園)として開放。

昭和5年には、県庁舎や県会議事堂が楽屋曲輪跡に移転し(往時には楽屋曲輪には温泉が湧出)、楽屋曲輪西側、南側の堀は埋め立てられています。
その後、武徳殿(昭和8年)、恩賜林記念館(昭和28年)、県民会館(昭和32年)、議員会館(昭和41年)などが公園内に設置され、昭和39年に舞鶴城公園が生まれています。

本丸一帯は明治37年に公園に

復元された本丸南側を守る鉄門(くろがねもん)
屋形曲輪とニの丸をつなぐ内松陰門(復元)

平成2年、舞鶴城公園整備事業が始まり、現在では日本庭園が整備された鍛冶曲輪、稲荷曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ稲荷曲輪門(復元)、内松陰門(うちまつかげもん/復元)、鉄門(くろがねもん/復元)、稲荷櫓(復元)、鍛冶曲輪門(復元)、山手門(復元)、本丸櫓跡、天守台石垣、さらには甲府市歴史公園・山手御門などが整備されて、往時を偲ぶことができます。

赤いウェアと小旗が目印の「甲府城御案内仕隊」(こうふじょうごあんないつかまつりたい)がボランティアガイドとしてスタンバイ。

立派な天守台石垣が現存するものの、山梨県教育委員会が2年間かけて調査した結果、天守があったという史料は発見されていません。
豊臣時代に天守があったという可能性は残されるものの、天守があったことは確認されていないのです。

甲府城
名称 甲府城/こうふじょう
所在地 山梨県甲府市丸の内1丁目地内
関連HP 甲府市公式ホームページ
電車・バスで JR中央本線甲府駅から徒歩5分
ドライブで 中央自動車道甲府昭和ICから約5km
駐車場 パーキング山梨交通(121台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 甲府市観光課 TEL:055-237-5702
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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