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別子銅山記念館

別子銅山記念館

愛媛県新居浜市の山根公園に隣接する別子銅山と住友(泉屋)の歴史を解説するミュージアムが別子銅山記念館。元禄4年(1691年)の開坑から昭和48年の閉山まで一貫して単一企業体の住友(泉屋)が経営した、世界でも例のない銅山が別子銅山。その貴重な史料を散逸することなく継承し、昭和50年に開館した記念館です。

別子銅山の歴史を後世に伝える住友グループの博物館

別子銅山記念館の館内は、住友とその前身である泉屋の歴史を紹介する「泉屋コーナー」、銅山の開坑から最近の事業までを紹介する「歴史コーナー」、鉱石などを解説する「地質・鉱床コーナー」、労働者の生活を展示した「生活・風俗コーナー」、西洋の技術が導入されて以降の機材が並ぶ「技術コーナー」に分かれています。

「泉屋コーナー」では、江戸時代、銅山の荒銅(粗銅)を大坂の銅吹所(精錬所)で精銅にし、長崎貿易用・御用銅と、国内販売用・地売銅に分けていたなど知られざる歴史を学ぶことができます。
江戸時代初期に海抜1200mの地点から採掘が開始され、最終的には海抜マイナス1000mまで掘り進みましたが、全長700kmにも及ぶ坑道の模型は圧巻。

屋外には、明治25年にドイツから輸入され鉱石運搬などに活躍した蒸気機関車「別子1号」なども展示されていますが、この鉄道は日本最初の山岳鉱山専用鉄道です。

別子銅山記念館は大山積神社境内にありますが、記念館が建つ場所はかつては銅山の厚生施設が建っていた場所。
鉱山守護の神様である大山積神社は、元禄4年(1691年)の開坑に際し、大三島(愛媛県今治市大三島町)の大山祇神社から分霊を勧請し、旧別子(別子山村足谷の山方、縁起の端)に創建。
明治26年、別子山村足谷の目出度町、大正4年には東平、昭和3年に現在の生子山麓に遷したもので、別子銅山記念館は社殿の雰囲気を壊さないために「地中ミュージアム」となっています。
別子銅山が開坑された5月を記念して屋根全面にサツキが植栽され、花が満開になる5月は実に見事。

別子銅山記念館横の、山根公園グラウンドは、もともと別子銅山で働く人々の為に作られたグラウンド。
山根製錬所跡煙突なども現存しています。

新居浜市の別子銅山関連遺産は、「地域と様々な関わりを持ちながら我が国の銅生産を支えた瀬戸内の銅山の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産に認定。
別子銅山記念館の所蔵物も、周辺の山根グラウンド石積(山根公園グラウンド観覧席)、山根製錬所跡煙突とともに、近代化産業遺産に認定されています。

別子銅山記念館
名称 別子銅山記念館/べっしどうざんきねんかん
所在地 愛媛県新居浜市角野新田町3-13
関連HP 別子銅山記念館公式ホームページ
電車・バスで JR新居浜駅からせとうちバスマイントピア別子行きで12分、生子橋下車、すぐ
ドライブで 松山自動車道新居浜ICから約3km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 別子銅山記念館 TEL:0897−41−2200/FAX:0897-41-9459
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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