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旧別子鉱山鉄道端出場隧道(中尾トンネル)

旧別子鉱山鉄道端出場隧道(中尾トンネル)

別子銅山で産する鉱石を新居浜へと運び、逆に、山上の鉱山町に生活物資を届けた山岳鉱山鉄道が別子鉱山鉄道。愛媛県新居浜市のマイントピア別子の構内で、明治26年に開通した旧別子鉱山鉄道の下部鉄道の端出場隧道(中尾トンネル)が往時のままに現存。観光列車が走り、レンガ積みのトンネルを抜けています。

旧別子鉱山鉄道下部鉄道のトンネルが現存

明治26年の下部鉄道開通に向け、住友の鉄道技師だった小川東吾が設計したもの。
全長は、92.55m、幅員は3mで、ナローゲージと呼ばれる軌間762mmの観光列車が今も走り抜けています。
馬蹄形断面のレンガ積みのトンネルで、側壁部分は表面に長手面だけが現れるように積んだ長手積み。

端出場隧道(中尾トンネル)を出た後に続く端出場鉄橋(足谷川鉄橋)とともに、国の登録有形文化財、下部鉄道跡として経済産業省の近代化産業遺産(「地域と様々な関わりを持ちながら我が国の銅生産を支えた瀬戸内の銅山の歩みを物語る近代化産業遺産群」)に認定。

旧別子鉱山鉄道端出場隧道(中尾トンネル)
名称 旧別子鉱山鉄道端出場隧道(中尾トンネル)/きゅうべっしこうざんてつどうはでばてっきょう(なかおとんねる)
所在地 愛媛県新居浜市立川町
関連HP マイントピア別子公式ホームページ
電車・バスで JR新居浜駅からタクシーで10分
ドライブで 松山自動車道新居浜ICから約6km
駐車場 道の駅マイントピア別子駐車場(300台/無料)
問い合わせ マイントピア別子 TEL:0897-43-1801
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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