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三河国分尼寺跡史跡公園

愛知県の東半分、三河国(みかわのくに)の国府の遺構は、豊川市白鳥町上郷中・下郷中で発見されています。聖武天皇の詔で建立された、三河国の国分尼寺の遺構も発掘され、一帯は三河国分尼寺跡史跡公園と整備されています。またガイダンス施設として「三河天平の里資料館」が建ち、ボランティアガイドが常駐しています。

中門、回廊の一部を遺構の真上に実物大で復元

国分尼寺の正式名は、法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)。
三河国の国分尼寺の寺域は150メートル四方という広大さで、国分寺に匹敵する規模だったことが判明しています。
平成11年から17年度に保存整備事業が行なわれ、中門、回廊の一部を遺構の真上に実物大で復元し、さらに金堂の基壇などが復元されています。
金堂の規模は、全国の国分尼寺でも屈指の大きさを誇っていることから、古代の三河国の繁栄ぶりがわかります。
柱材に国産の檜を使い、瓦は出土品に倣って復元されています。

また、最奥の場所には三河国分尼寺跡史跡公園の全体を見渡すことができる展望デッキが設置されています。

発掘調査では、炭化物のススが付着した灯火具(灯明皿)が出土しており、「万灯会」のようなものが行なわれていた可能性も示唆しています。

出土品には、単弁八葉蓮華文軒丸瓦、唐草文軒平瓦等各種の瓦類のほか、特異な相貌の鬼瓦、塼(せん)、泥塔、須恵器類が発見されており、「三河天平の里資料館」に展示されています。

毎年秋にはペットボトル製の万灯を史跡公園内に並べて、三河国分尼寺の伽藍全体を照らす『天平ロマンの夕べ』も開催。

三河国分尼寺跡史跡公園の南西500mには、三河国分寺の後継寺院である三河国分寺があり、境内から奈良時代の三河国分寺の遺構が発掘されています。

三河国分尼寺跡史跡公園
名称三河国分尼寺跡史跡公園/みかわこくぶんにじあとしせきこうえん
所在地愛知県豊川市八幡町忍地127-1
関連HP豊川市公式ホームページ
電車・バスで名鉄本線国府駅から徒歩25分
ドライブで東名高速道路音羽蒲郡ICから約6.6km。豊川ICから約7km
駐車場20台/無料
問い合わせ三河天平の里資料館 TEL:0533-88-5881/FAX:0533-88-5881
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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