三河国府跡(曹源寺)

三河国府跡(曹源寺)

愛知県豊川市白鳥町にある曹洞宗の寺、曹源寺。合併して豊川市になっていますが、一帯はかつての国府町(こうちょう)で、三河国の国府が存在していた三河国府跡。しかも三河総社(白鳥総社)の東側にある曹源寺の境内が国庁の正殿があった場所だと判明しています。

「国厨」と記した墨書土器が出土!

三河国府跡(曹源寺)

平成3年から、13次にわたる発掘調査の結果、「国厨」と記した墨書土器(国府の厨房あるいは国府の厨房が提供した食料による宴会を意味する言葉)が出土したことから、政庁と確認され、3回の建て替えがあったことなど全容が明らかに。
前殿、正殿、後殿は、南北の直線上に配置され、東西に脇殿を配した典型的な国庁建物で、初期の第1期(8世紀後半〜9世紀前半)、第2期(9世紀前半〜9世紀後半)は、瓦葺きの掘立柱建物でしたが、第3期(9世紀後半〜10世紀中頃)になると礎石建物に変更されています。

一帯は私有地で、発掘調査後に埋め戻され、畑になっているので、往時の雰囲気を偲ぶことはできません。

三河国庁の東200mの地点の8世紀後半の遺構からは、猿投窯で焼成されたと推測できる羊形硯(ふちじがたすずり/平城宮跡、伊勢の齊宮跡、大津市の関津遺跡、京都府の樋ノ口遺跡などから出土する羊の形の硯=羊は中国では霊獣で、国内には羊は生息しなかったため、国司などが使った硯だろうと推測できます)。

三河国府跡(曹源寺)の600mほど東側には三河国国分寺跡があり、その北東に三河国分尼寺跡が史跡公園として整備され、平成11年3月には、豊川市八幡町で幅22m、長さ100m以上にわたって小石を敷き詰めて舗装した大道の跡(国庁と国分寺をつなぐ道路の遺構)も発見。
一帯が律令時代の三河国の中心だったことがわかります。

出土品などは、三河国分尼寺跡史跡公園の「三河天平の里資料館」に収蔵展示されているので、時間があれば寄り道を。

三河国府跡(曹源寺)
名称 三河国府跡(曹源寺)/みかわこくふあと(そうげんじ)
所在地 愛知県豊川市白鳥町上郷中11
電車・バスで 名鉄本線国府駅から徒歩10分
ドライブで 東名高速道路音羽蒲郡ICから約6km、豊川ICから約8km
問い合わせ 豊川市観光協会 TEL:0533-89-2206/FAX:0533-89-2276
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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