【知られざるニッポン】vol.34 「韮山反射炉」が世界遺産になった理由とは!?
伊豆の国市韮山にある韮山反射炉は、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつ。 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(当初の名称は「明治日本の産業革命遺産 九州・山…
伊豆の国市韮山にある韮山反射炉は、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつ。 「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(当初の名称は「明治日本の産業革命遺産 九州・山…
日本人は日本三〇〇とか、三大〇〇が大好き。今回は「日本三名園」を紹介しましょう。金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園が「日本三名園」。誰が、どんな基準で選んだのでしょう? 「The 3 Great Garden…
徳川幕府の終焉の時代と、広く世の中が認識した幕末の大事件が『桜田門外の変』。江戸城西の丸入口、外桜田門で、安政7年3月3日(1860年3月24日)、水戸藩からの脱藩者らが、時の大老・井伊直弼(いいなおすけ)を殺害するとい…
大正15年架橋の現在の永代橋(国の重要文化財)のモデルとなったのが、ドイツのライン川に架かり、レマーゲンとエルペルを結んでいた鉄道橋・ルーデンドルフ橋 (Ludendorffbrücke)。この橋、実は、映画ファンにはお…
吉祥寺駅前に「寺町」があるのをご存知でしょうか? 吉祥寺通りと女子大通りがクロスする交差点の名は、ズバリ、四軒寺。4軒の寺が界隈に集結していることから生まれた通称名。そしてその「寺町」が、吉祥寺誕生の歴史を秘めてもいるの…
吉祥寺の地名の由来、そしてそのルーツが現在の水道橋(東京都文京区本郷1丁目)あたりにあったことは、前回お話しました。 今回はその続編で、吉祥寺ナンバーワンのパワースポットを紹介します。
神田川と聞いて何をイメージするでしょうか?年配の人はフォークの名曲『神田川』(昭和48年9月20日発売/南こうせつとかぐや姫)でしょうか?その源流が井の頭池で、江戸時代には江戸の人の暮らしを支えました。
不動産・住宅サイト SUUMO(スーモ)の調査によると、調査開始以来5年連続トップを獲得していた吉祥寺が、ついに2位に。 吉祥寺を抜き去って1位に浮上したのが恵比寿なんだとか。 まあ、恵比寿には代官山もあるし・・・という…
「昔々、富士山をつくるため、甲州(山梨県甲府盆地)の土を取って土盛りした。そのため甲州は盆地になった」などというダイダラボッチの伝説(巨人伝説)をご存知でしょうか? 実は、このダイダラボッチという巨人の伝説、日本全国に。…
日曜のランチ時には、吉祥寺駅周辺の店は大混雑。 そんな時にお役立ちの店が吉祥寺第一ホテル向かいの「カヤシマ」。
江戸時代には旧暦1月15日が小正月、7月15日がお盆ということもあって、1月16日、7月16日は閻魔賽日(えんまさいじつ)といって閻魔大王を祀る寺では、縁日として賑わいました。藪入(やぶいり)で奉公先から休みをもらった人…
東京23区の自然地形での最高峰は、愛宕山(あたごやま/25.7m)です。家康の江戸入府以前は桜田山と呼ばれていましたが、徳川家康が関ヶ原の勝利を記念して1603(慶長8)年に愛宕権現を頂に勧請したことで、愛宕山と称される…
江戸時代、江戸市中にあった大名屋敷には各藩なだたる寺社の分社・分寺が勧請されていました。月に1回の縁日を決めて公開されて人気を博したのが、金毘羅(こんぴら)さんで知られる、丸亀藩江戸上屋敷の金毘羅大権現。江戸時代の後期に…
金毘羅船々(こんぴらふねふね) 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ♪ まわれば 四国は讃州(さんしゅう)那珂の郡(なかのごおり) 象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん) 一度まわれば♫ この…
藩邸内に祀られた水天宮を毎月5日限定で江戸の庶民に開放して「情け有馬の水天宮」といわれた、久留米藩有馬家屋敷(久留米藩江戸上屋敷)。実は、もうひとつ、当時の江戸では超高層建築の火の見櫓があって、「湯も水も火の見も有馬の名…
「恐れ入谷の鬼子母神」、「草加、越谷、千住の先よ」など、江戸の地名を盛り込んだ地名入りの地口(じぐち=言葉遊び)。今回紹介するのは、久留米藩有馬家の上屋敷が盛り込まれた「情け有馬の水天宮」(なさけありまのすいてんぐう)。…
武田信玄の軍師として知られる智将・山本勘助(やまもとかんすけ)。 実は、富士山の麓、富士宮の出身だという。地元には数々の「証し」も残されています。
徳川家康の死因は、定かでありません。 一般に流布しているのは「鯛の天ぷらを食べて死んだ」というもの。 鯛の天ぷらにあたったのでしょうか? その鯛の天ぷらを食したといわれるのが、田中城(現・藤枝市)です。