【知られざる東京】映画『レマゲン鉄橋』と永代橋の意外な関係
大正15年架橋の現在の永代橋(国の重要文化財)のモデルとなったのが、ドイツのライン川に架かり、レマーゲンとエルペルを結んでいた鉄道橋・ルーデンドルフ橋 (Ludendorffbrücke)。この橋、実は、映画ファンにはお…
大正15年架橋の現在の永代橋(国の重要文化財)のモデルとなったのが、ドイツのライン川に架かり、レマーゲンとエルペルを結んでいた鉄道橋・ルーデンドルフ橋 (Ludendorffbrücke)。この橋、実は、映画ファンにはお…
吉祥寺駅前に「寺町」があるのをご存知でしょうか? 吉祥寺通りと女子大通りがクロスする交差点の名は、ズバリ、四軒寺。4軒の寺が界隈に集結していることから生まれた通称名。そしてその「寺町」が、吉祥寺誕生の歴史を秘めてもいるの…
吉祥寺の地名の由来、そしてそのルーツが現在の水道橋(東京都文京区本郷1丁目)あたりにあったことは、前回お話しました。 今回はその続編で、吉祥寺ナンバーワンのパワースポットを紹介します。
神田川と聞いて何をイメージするでしょうか?年配の人はフォークの名曲『神田川』(昭和48年9月20日発売/南こうせつとかぐや姫)でしょうか?その源流が井の頭池で、江戸時代には江戸の人の暮らしを支えました。
不動産・住宅サイト SUUMO(スーモ)の調査によると、調査開始以来5年連続トップを獲得していた吉祥寺が、ついに2位に。 吉祥寺を抜き去って1位に浮上したのが恵比寿なんだとか。 まあ、恵比寿には代官山もあるし・・・という…
「昔々、富士山をつくるため、甲州(山梨県甲府盆地)の土を取って土盛りした。そのため甲州は盆地になった」などというダイダラボッチの伝説(巨人伝説)をご存知でしょうか? 実は、このダイダラボッチという巨人の伝説、日本全国に。…
日曜のランチ時には、吉祥寺駅周辺の店は大混雑。 そんな時にお役立ちの店が吉祥寺第一ホテル向かいの「カヤシマ」。
江戸時代には旧暦1月15日が小正月、7月15日がお盆ということもあって、1月16日、7月16日は閻魔賽日(えんまさいじつ)といって閻魔大王を祀る寺では、縁日として賑わいました。藪入(やぶいり)で奉公先から休みをもらった人…
東京23区の自然地形での最高峰は、愛宕山(あたごやま/25.7m)です。家康の江戸入府以前は桜田山と呼ばれていましたが、徳川家康が関ヶ原の勝利を記念して1603(慶長8)年に愛宕権現を頂に勧請したことで、愛宕山と称される…
江戸時代、江戸市中にあった大名屋敷には各藩なだたる寺社の分社・分寺が勧請されていました。月に1回の縁日を決めて公開されて人気を博したのが、金毘羅(こんぴら)さんで知られる、丸亀藩江戸上屋敷の金毘羅大権現。江戸時代の後期に…
金毘羅船々(こんぴらふねふね) 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ♪ まわれば 四国は讃州(さんしゅう)那珂の郡(なかのごおり) 象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん) 一度まわれば♫ この…
藩邸内に祀られた水天宮を毎月5日限定で江戸の庶民に開放して「情け有馬の水天宮」といわれた、久留米藩有馬家屋敷(久留米藩江戸上屋敷)。実は、もうひとつ、当時の江戸では超高層建築の火の見櫓があって、「湯も水も火の見も有馬の名…
「恐れ入谷の鬼子母神」、「草加、越谷、千住の先よ」など、江戸の地名を盛り込んだ地名入りの地口(じぐち=言葉遊び)。今回紹介するのは、久留米藩有馬家の上屋敷が盛り込まれた「情け有馬の水天宮」(なさけありまのすいてんぐう)。…
武田信玄の軍師として知られる智将・山本勘助(やまもとかんすけ)。 実は、富士山の麓、富士宮の出身だという。地元には数々の「証し」も残されています。
徳川家康の死因は、定かでありません。 一般に流布しているのは「鯛の天ぷらを食べて死んだ」というもの。 鯛の天ぷらにあたったのでしょうか? その鯛の天ぷらを食したといわれるのが、田中城(現・藤枝市)です。
「一富士二鷹三茄子」は、故事ことわざ辞典などによれば、「初夢に見ると縁起が良いとされるものを、めでたい順に並べた句」とされています。富士は不死あるいは無事、鷹は高い、茄子は成すに通じるとか様々な解釈がありますが、その真相…
徳川家康とその側近は、江戸入府後に湿地帯となっていた江戸の町周辺の治水事業に乗り出します。利根川は武蔵国北部では細かく乱流し、綾瀬川や荒川とも合・分流していて、洪水ごとに流路を変えるという状況だったのです。そこで考えだし…
京成本線谷津駅から南へ500mほど歩いた谷津公園。谷津バラ園の入口右手に「読売巨人軍発祥の地」碑があり、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治など有名な巨人軍関係者の手形が並んでいます。