博物館網走監獄
道東開拓のため、多くの政治犯が送り込まれた網走監獄。天都山(てんとさん)のふもとにある博物館網走監獄は、実際に網走刑務所で使っていた放射状舎房(国の重文)、レンガ門、浴場、教誨堂(きょうかいどう/国の重文)、味噌醤油蔵、…
道東開拓のため、多くの政治犯が送り込まれた網走監獄。天都山(てんとさん)のふもとにある博物館網走監獄は、実際に網走刑務所で使っていた放射状舎房(国の重文)、レンガ門、浴場、教誨堂(きょうかいどう/国の重文)、味噌醤油蔵、…
網走市街の北に広がる能取湖(のとろこ)は、オホーツク海と通じる海水湖。能取湖の南畔、卯原内(うばらない)あたり一帯には、8月下旬〜9月中旬頃、サンゴ草が美しく色づきます(能取湖卯原内サンゴ草群落)。サンゴ草は、アッケシソ…
斜里町内で発見されている縄文時代の遺跡はなんと数百ヶ所にも及んでいます。羅臼町・標津町を含め知床半島一帯には豊かな古代人の営みがあったことが判明しています。朱円ストーンサークル(朱円周堤墓)は、奥蕊別川(オクシベツ川)の…
網走市を流れる網走川河口の標高5mの砂丘台地にあるモヨロ貝塚は、縄文時代晩期、続縄文時代、擦文時代、そしてオホーツク文化最大の遺跡で国の史跡。大正2年に網走を訪れたアマチュアの考古学研究者・米村喜男衛(よねむらきおえ)が…
アイヌの人々が交易や祭祀、談判(チャランケ)をおこなった場所である桂ヶ岡砦(チャシ)跡のある桂ヶ岡公園に建つ博物館で、趣ある建物はアメリカの建築家F・ライトに師事し、関東大震災を機に北海道にやってきた建築家・田上義也の設…
ラムサール条約登録湿地である濤沸湖(とうふつこ)の湖畔、北浜地区の白鳥公園に建つ環境省の施設(運営は網走市)。濤沸湖周辺の自然、歴史、文化に関する展示や映像、解説を通して、湿地の重要性を学ぶことができます。展示室には双眼…
ラムサール条約登録湿地となった濤沸湖(とうふつこ)にある白鳥観察のポイント。10月中旬の初飛来日から北帰行が始まる4月中旬までの半年間、50年にもわたって雨の日も、吹雪の日も時化(しけ)の日も家族で毎日白鳥に餌を与えて続…
道道123号(太平洋シーサイドライン)沿いにある展望台。国内3番目に広大でラムサール条約登録湿地である霧多布湿原(きりたっぷしつげん)と、湿原を蛇行する琵琶瀬川(びわせがわ)を一望し、南には大海原が続くという景勝地です。…
稚内港にあるゴシック建築を模した半アーチ形ドーム型の防波堤。昭和11年、稚泊連絡船(ちはくれんらくせん=北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船)の桟橋の保護と桟橋を利用する乗客の便宜のために建設されたもの。高さ13.6m、全長は4…
道道123号(太平洋シーサイドライン)沿い、ダケカンバの林を抜けた、チンベノ鼻と呼ばれる台地状の岬。この岬付近一帯100haに広がる、30万株の群落があやめが原。アヤメはヒオウギアヤメで、開花期は年により異なりますが、6…
昭和4年に開業した旧国鉄広尾線の駅。昭和48年3月5日放送のNHK『新日本紀行』の「幸福への旅〜帯広〜」で紹介され(平成17年放送NHK『新日本紀行ふたたび』の第1回『幸福への旅〜帯広〜』で再放送)、広尾寄りの幸福駅とと…
積丹半島の東海岸、美国港を出航し、黄金岬沖、ビヤノ岬沖、キト浜沖、宝島沖を周遊する水中展望船(美国港~キト浜周遊航路)。北海道で唯一の海中公園に指定された海域(積丹半島・小樽海岸海中公園)を周航します。シャコタンブルーと…
昭和62年に廃線となった、旧国鉄広尾線の駅舎跡。この旧広尾線には、愛国駅も隣接しており、「愛の国から幸福へ」ということで、昭和50年代には愛国〜幸福間の乗車券を求める観光客や鉄道ファンが殺到した駅です。駅舎には、使い終わ…
北緯43度22分、東経145度49分に位置する岬で、北方領土と離島(南鳥島)を除いて、一般に到達できる日本の最東端。岬の突端には、明治5年に点灯された、北海道ではもっとも歴史のある納沙布岬灯台が建っています。北方領土のう…
本土最東端納、納沙布岬(根室市)の望郷の岬公園に建つ北方領土問題啓発施設で北方領土返還要求運動の発祥の地。望郷の家は、昭和47年に北方領土からの引揚者の団体(千島歯舞諸島居住者連盟)が北方領土の島々を追われた元島民の心の…
昭和62年に納沙布岬先端の台地に建てられた高さ96mの展望塔。エレベーターで上がる展望室から納沙布岬全体はもちろん、国後島、歯舞諸島などを眺望します。ちなみに納沙布岬から北方領土の貝殻島までは3.7kmしかありません。北…
納沙布岬の望郷の岬公園に配されたシンボル的なモニュメント。四島とはロシアが実効支配する北方四島のことで、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)。世界平和と「北…
納沙布岬先端に建つレストハウス。根室市と合併する直前に納沙布岬のある歯舞村(はぼまいむら)の村長を務めた竹村孝太郎氏が昭和35年に納沙布岬を訪れるかつての北方領土住民にお茶を提供しようと無料の休憩所を建てたのが始まり。日…