恵林寺

恵林寺

甲州市塩山にある臨済宗妙心寺派の古刹、恵林寺(えりんじ)。元徳2年(1330年)に、甲斐の守護職・二階堂貞藤(にかいどうさだふじ)が所領の牧荘を寄進し、夢窓疎石を招いて創建したと伝わっています。武田信玄の葬儀が行なわれたことと、快川紹喜(かいせんじょうき)の「心頭滅却すれば火も自ら涼し」のセリフで知られています。

夢窓疎石作庭の庭園と信玄公宝物館も必見です

恵林寺
徳川家康再建と伝えられる四脚門は国の重文
恵林寺
夢窓疎石作の庭園

室町時代には甲斐における臨済宗の中心として繁栄しますが、応仁の乱で荒廃。
永禄7年(1564年)、武田晴信(信玄)が美濃・崇福寺(そうふくじ=現・岐阜市長良福光)から快川紹喜を招聘、武田氏の菩提寺として再興しています。

武田信玄の葬儀は、信玄に機山の号を授けた快川国師の手でこの寺で行なわれています。

天目山の戦いで武田氏が滅亡後、恵林寺に隠れた六角義治(ろっかくよしはる=信長の南近江侵攻で信玄の元に身を寄せていた)の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠は寺を焼き討ちに。

その際、快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」(安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し)の言葉を残した逸話は有名です(再建された三門の両側にも、この偈が扁額として掲げられています)。
ただし、この言葉は中国・唐の詩人、杜荀鶴(とじゅんかく)の詩の一節。快川紹喜が残した言葉としては戦国時代の史料にはなく、後世の創作と推測されています。
本能寺の変で信長が討たれた後、甲斐(かい=山梨県)は徳川家康の領有となり、武田遺臣を家臣に積極的に採用していますが、恵林寺も那須の雲巌寺に遁れ潜んでいた末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)を招いて再建しています。

境内には武田信玄の墓、柳沢吉保の廟所も

恵林寺
開山堂
恵林寺
武田信玄の墓所

寛文12年(1672年)には『武田信玄百回忌』が開かれ、信玄供養塔が建立されています。
宝永2年(1705年)4月12日には甲府藩主・柳沢吉保(やなぎさわよしやす=徳川綱吉の側用人)が信玄の百三十三回忌の法要を実施していますが、これは柳沢吉保が信玄の後継者であることを世に知らしめる目的があったといわれています(柳沢吉保は柳沢家の祖を武田家に連なる一族としています)。
境内には柳沢吉保の霊廟、墓所も残されています。

往時の建物は明治38年の火災で焼失。
桃山様式の四脚門(国の重要文化財)や夢窓疎石作と伝わる庭園が往時の繁栄を今に伝えています。

本堂裏の夢窓疎石作の庭園は、上段が枯山水、下段が心字池と築山といった構成で、国の名勝に指定。
ツツジの季節は実に見事です。

本堂正面には、「信玄公宝物館」があり、信玄ゆかりの品々を展示。
併設の食事処「一休庵」では、精進料理やほうとうなどが味わえます。

恵林寺

信長、信玄、明智光秀の不思議な関係を結ぶ、快川紹喜

永禄7年(1564年)、武田信玄が快川紹喜を呼んだ崇福寺は、永禄10年(1567年)に稲葉山城を落として美濃に入った信長が菩提寺とした寺。
快川国師はその織田軍によって火攻めにされるのだから、皮肉な巡り合わせとなっています。

恵林寺は信玄の、崇福寺は信長の菩提寺となり、ともに今も多くの参詣者を集めています。
快川国師は明智光秀と同族で美濃国の土岐氏を祖としています。
明智光秀の本能寺の焼き討ち(本能寺の変、武田氏の滅亡直後)は、この快川国師の焼殺事件が関係するという説もあるのです。

快川国師が守った六角義治本人(武田氏などと結び信長包囲網の構築を御膳立てしています)は、難を逃れ豊臣秀吉、豊臣秀頼に仕えていますが、この六角義治も本能寺の変に関係している可能性があるのです(一説には本能寺の変の黒幕ともされていますが、裏付けはありません)。

恵林寺
名称 恵林寺/えりんじ
所在地 山梨県甲州市塩山小屋敷2280
関連HP 恵林寺公式ホームページ
電車・バスで JR塩山駅から山梨交通バス西沢渓谷行き11分、恵林寺前下車、または、タクシーで7分
ドライブで 中央自動車道勝沼ICから約12km
駐車場 70台/無料
問い合わせ 恵林寺 TEL:0553-33-3011
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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