等々力渓谷
東京都世田谷区等々力(とどろき)、多摩川へと続く谷沢川(一級河川)沿いにある、深さ10mの渓谷が等々力渓谷。都内に残る数少ない渓谷で、せせらぎの音やオナガ、シジュウカラなどの鳥の鳴き声が響きわたり、四季折々の美しい景観が…
東京都世田谷区等々力(とどろき)、多摩川へと続く谷沢川(一級河川)沿いにある、深さ10mの渓谷が等々力渓谷。都内に残る数少ない渓谷で、せせらぎの音やオナガ、シジュウカラなどの鳥の鳴き声が響きわたり、四季折々の美しい景観が…
熊本市の中心を流れる一級河川の白川。その水源となるのが阿蘇カルデラの南部、南郷谷(南阿蘇村)の白川水源で14度の清冽な水が毎分60tも湧き出しています。藩政時代から湧水池は肥後名勝のひとつに数えられ、現在は、環境省の名水…
旧天城トンネルの正式名は天城山隧道。国道の新天城トンネルと区別するため「旧天城トンネル」と呼ばれています。平成13年にトンネルとしては初めて国の重要文化財に指定された伊豆・天城山中にある隧道(トンネル)です。当時のお金で…
天城(あまぎ)を代表する名瀑で、日本の滝百選にも選定されるのが静岡県伊豆市の浄蓮の滝。本谷川に架かる高さ25m、幅7mの滝で、滝壺の付近は夏でもひんやりとした空気が漂っています。伊豆東部火山群の鉢窪山の1万7000年前の…
静岡市の安倍川の源流域(安倍奥)、支流のサカサ川に懸かる巨瀑が安倍の大滝で、日本の滝百選にも選定。駿河大滝とも呼ばれるのは落差80mは駿河随一だから。梅ヶ島温泉の温泉街から徒歩45分ほどで到達。県道29号途中、安倍の大滝…
標高1590m、休暇村乗鞍高原から遊歩道を徒歩5分ほど歩いたところにある、神秘的な池が牛留池。周囲を原生林に囲まれ、静寂そのもの。東岸に東屋があり、乗鞍岳を正面に望むことができるビュースポットになています。ベストシーズン…
比良山系・武奈ケ岳(1214.4m)の中腹にある瀑布群で、滋賀県で唯一、日本の滝百選に選定されるのが八ツ淵の滝。下流から魚止の淵、障子ヶ淵、唐戸の淵、大摺鉢、小摺鉢、屏風ヶ淵、貴船ヶ淵、七遍返し淵(しちへんがえしぶち)と…
石川さゆりが昭和61年7月21日にリリース、第28回日本レコード大賞・金賞受賞曲が『天城越え』(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、編曲:桜庭伸幸)。中森明菜、石原詢子らにもカバーされ、今も歌い継がれる名曲です。その歌碑があるの…
韮山代官の江川英龍(えがわひでたつ=江川太郎左衛門)が伊豆国韮山(現・伊豆の国市)に建造した、日本最初の溶鉱炉が韮山反射炉。黒船の来航による国防の重要性から、大砲を鋳造するためのに造られたもので、高さ15.8mのレンガ造…
乗鞍高原を流れる小大野川の三大滝(善五郎の滝、番所大滝、三本滝)のひとつで、ほかの滝と同様に乗鞍火山から流出した溶岩流の末端(標高1525m)に懸かる滝が善五郎の滝。落差21.5m、幅8mで水量豊富な名瀑。探勝の起点は、…
寺伝によれば、皇極天皇元年(642年)創建と伝えられる、長野市の善光寺。『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから百済を経由し、6世紀に日本に渡ってきた日本最古の仏像(秘仏)とか。平安時代にはすでに…
伊勢路と美濃路が合流し、京と尾張を結ぶ交通の要衝に位置した甚目寺(じもくじ/愛知県あま市)。寺伝によれば推古天皇5年(597年)、伊勢国の漁師・甚目龍麿(はだめたつまろ)が観音像を網で引き揚げ堂を建て安置したのが始まりと…
岐阜市にある真言宗醍醐派の寺、岐阜善光寺。天正10年(1582年)3月、武田家の滅亡により、当時、信州から甲斐(甲府)の善光寺に遷されていた善光寺の秘仏(善光寺如来=阿弥陀三尊仏)を織田信長は岐阜城下に運びます。本能寺の…
徴兵制、廃刀令は、旧士族にとっては許せないことで、明治9年10月24日の熊本県士族の神風連の乱を皮切りに、27日の福岡県士族の秋月の乱、28日の萩の乱と不平士族の乱が連続。それが西南戦争へと発展。総大将となった西郷隆盛は…
大久保利通(薩摩藩出身)、木戸孝允(きどたかよし=桂小五郎/長州藩出身)とともに「維新の三傑」といわれたのが西郷隆盛。文政10年12月7日(1828年1月23日)、薩摩国鹿児島城下の加治屋町山之口馬場(下加治屋町=現・鹿…
鹿児島駅から徒歩7分の鹿児島本港(桜島桟橋)と桜島港を15分の船旅で結んでいるのが鹿児島市営の桜島フェリー。年中無休で24時間運航というフェリーで、「待たずに乗れる」がキャッチフレーズ。平成15年に就航した「第十八櫻島丸…
鹿児島駅の東、稲荷川河口の祗園之洲は、島津斉彬(しまづなりあきら)の命により築かれた薩摩藩の台場(祇園之洲砲台)があった場所で、生麦事件に端を発した文久3年(1863年)の薩英戦争では砲撃戦が行なわれた場所です。稲荷川を…
日本初の近代的な工場群である「集成館」を仙巌園内に設けた薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)ですが、藩の富国強兵、そして外国船への備えから嘉永4年(1851年)、オランダの技術書の翻訳書を参考に西欧の鋳造技術を導入し、…