萩城・天守跡
本丸(天守・御殿)、二の丸、三の丸と、さらには指月山に詰城と堅牢な防御を誇った萩城。本丸の南西部に配された天守は桃山時代初期の様式で、高さ21m、5層5階の複合式望楼型の壮麗なものだったとか。現在は天守跡(天守台)の石垣…
本丸(天守・御殿)、二の丸、三の丸と、さらには指月山に詰城と堅牢な防御を誇った萩城。本丸の南西部に配された天守は桃山時代初期の様式で、高さ21m、5層5階の複合式望楼型の壮麗なものだったとか。現在は天守跡(天守台)の石垣…
山口県萩市街の北西、海に突き出すようにそびえる指月山(しづきやま/標高145m)の山頂と山麓に、慶長9年(1604年)から4年の歳月をかけ、毛利輝元(もうりてるもと)が築城した、平山城の城跡が萩城跡(はぎじょうせき)。平…
山口県山口市にある毛利家の菩提寺。応永11年(1404年)、周防・長門・豊前の守護大名・大内盛見(おおうちもりはる)が祈願所として建立した国清寺が前身。毛利氏が防長に転封されてからは、毛利隆元(もうりたかもと=毛利元就の…
広島城は鯉城(りじょう)とも呼ばれる平城で、慶長4年(1599年)、太田川河口の三角洲に毛利輝元により築城されました。鯉城の名はこの付近が己斐浦(こいのうら)と呼ばれていたことに由来。現在は内堀から先、二の丸、本丸のみ残…
広島城は、天正17年(1589年)、豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元(もうりてるもと)により築城され、天守は昭和6年に国宝に指定され、城郭建築が残されていました。残念ながら原爆投下により全壊し、現在の天守は昭和33年に復…
中村橋之助(現・8代目中村芝翫)が毛利元就(もうりもとなり)を演じたNHK大河ドラマ『毛利元就』(平成9年放送)で注目されるようになった毛利元就の居城となった山城が広島県安芸高田市の郡山城(吉田郡山城)。その山麓に建つの…
安芸高田市にある中世の山城、郡山城(吉田郡山城)の城内にある洞春寺跡にあるのが毛利元就墓所(もうりもとなりぼしょ)。郡山城を整備拡幅し、安芸の国人領主から戦国大名へと躍り出た毛利元就は、元亀2年6月14日(1571年7月…
広島県安芸高田市、かつての吉田荘(よしだのしょう)を見下ろす、標高400mの郡山の山上にある山城の跡が、毛利元就(もうりもとなり)の居城、郡山城跡(こおりやまじょうせき=吉田郡山城)。「毛利氏城跡 郡山城跡」として国の史…
大阪市住吉区に鎮座する住吉大社は、社伝によれば、神功皇后が朝鮮半島の新羅に出兵した際に住吉三神を祀ったことに始まるという古社。全国2300の住吉社の総本社で摂津国一の宮にもなっています。古代の大阪港である住吉津、難波津か…
都が東京に移った後の京都の発展の起爆剤とするため、琵琶湖の湖水を京都市街へと通し、発電、灌漑、さらには物資や旅客の運搬に活用しようという明治初期の一大プロジェクトが琵琶湖疏水建設。レンガや石で組まれた構造物には、明治の元…
日本で最初の営業目的の水力発電所は、京都・蹴上の琵琶湖疏水を利用した「蹴上発電所」(明治24年6月稼働開始)。12月からは京都電灯会社に電力の供給を開始し、蹴上に設置されたインクラインの動力もこの発電所で生まれる電気で供…
延宝4年(1676年)に架橋の筋違橋(すじかいばし)がルーツというのが神田川に架かる万世橋(まんせいばし)。江戸城三十六見附のひとつ、筋違見附門に付随する橋でしたが、明治5年、に筋違見附門が取り壊され、余った石材を利用し…
もともとは亀山天皇(かめやまてんのう)が文永元年(1264年)に造営した離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった地。仏門に入り法皇となった亀山法皇は正応4年(1291年)、無関普門(むかんふもん=大明国師)に禅林寺殿を下…
南禅寺の三門周辺は『鬼平犯科帳』、『暴れん坊将軍』、『必殺仕事人』、『雲霧仁左衛門』など時代劇のロケに使われる場所。三門脇に僧堂坂(そうどうさか)と呼ばれる坂がありますが、これは僧堂(非公開)脇の坂道という意味で、土塀の…
南禅寺の塔頭、金地院(こんちいん)の境内にある東照宮。国の重要文化財に指定される社殿は、京都唯一の権現造りで日光同様の鮮やかな彩色が施されています。金地院中興の祖である以心崇伝(いしんすうでん=金地院崇伝)は、上野の寛永…
南禅寺大方丈前の庭園は江戸時代初期の代表的枯山水庭園。小堀遠州(こぼりえんしゅう)作の名庭で、虎の子渡しの庭と呼ばれています。砂と石と松で構成された庭は、石で虎を表し、白砂で表現した河を渡る姿となっていることがその名の由…
南禅寺はもともとは亀山天皇が文永元年(1264年)に造営した離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった地に建つ臨済宗南禅寺派大本山。仏門に入り法皇となった亀山法皇は正応4年(1291年)、大明国師に禅林寺殿を下賜し、龍安山…
三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の小径にあるレンガ造りのトンネルが蹴上ねじりまんぽ。その上には琵琶湖疏水(びわこそすい)が通り、船を運んだ傾斜鉄道、インクラインがありました。「ねじりまんぽ」とはレンガの組み方で、大きな負…