今や幻の乗り物に! 馬そりとは!?

馬橇

「長い国境のトンネルを抜けるとそこは雪国だった」は川端康成の小説『雪国』の冒頭。川端康成は上越トンネルを抜け、雪深い越後湯沢駅に降り立ちますが、そこで出迎えてくれたのは、旅館の送迎用に大活躍の馬そり(馬橇)でした。道路除雪のない時代、雪国で活躍した冬の乗り物といえば馬そりだったのです。

開拓時代の北海道では、ロシアから技術導入して誕生

いまではこの馬そり、北海道開拓の村(札幌市)、ノーザンホースパーク(苫小牧市)で積雪シーズンに観光運用で体験できる程度で、通常の運行では行なわれていません。

北海道や新潟、青森など雪深い地では、明治〜昭和20年代は、冬の移動は馬そりが活躍しました。
そりの移動は新雪には不向きですが、踏み固まり圧雪した道路では、滑りもよく格好の交通手段、荷物運搬のツールとなったのです。

明治の北海道開拓期にロシアのウラジオストク、サハリン(樺太)などの沿海地方に住む人から学んで技術導入したもので、弧を描く先端部(ハナ)は、木材を蒸籠(せいろ)で蒸しながら気長に曲げていったのです。
ロシア型を改良し、先端部(ハナ)をさらに大きく内側に湾曲させたのが札幌型で、それが北海道はもちろん、国内に普及していきました。

ちなみに馬を農耕に使う馬耕が伝わったのは明治初期、北海道開拓使がアメリカ式の大規模農法を導入した際で、それ以前は軍用馬の利用のみでした。

雪国・新潟県では、もともと人力で押したり挽いたりする手そりでしたが、明治時代になって馬そりに変わっていきました。
新潟県では明治中期以降、競馬が普及するので、その頃にはこの馬そりも一般化したのだと推測できます。
大型の橇(そり)は修羅(しゅら)と呼び、木材の搬出などにも馬そりが活躍したのです。
雪国では森林鉄道が敷設されるまで、冬場の木材搬出に活躍しましたが、新雪の時期は利用できず、雪が固まる3月以降の運搬に限られました。

往時には往診に向かう医者、旅館の送迎などいろいろな場面で活躍した馬そりですが、車の普及と道路の除雪により、その役割を終えたのです。

注/画像はすべて北海道開拓の村

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