山崎製パン、敷島製パン(Pasco)、フジパンという日本の三大パン・ベーカリー会社。山崎製パンは東京が本社ですが、超熟のPasco(パスコ)が人気の敷島製パン、「本仕込」のフジパンは、愛知県名古屋市のメーカーです。なぜ愛知県が「パン王国」なのでしょうか? 第一次世界大戦と米騒動が大きなきっかけに。
第一次世界大戦と米騒動が生んだ愛知のパン作り

敷島製パン、フジパンはともに大正時代創業の老舗メーカー。
戦後、和菓子作りからスタートした山崎製パンがパン作りを始めたのは昭和30年なので、歴史的にも愛知県に軍配が上がります。
敷島製パンは創業者の盛田善平(もりたぜんぺい)が、第一次大戦後の不況、物価高を見かね、「食糧難の解決が開業の第一の意義」という大義を掲げて創業した会社。
時代は米騒動などの起こる米高騰の時代、しかし、今と違って米に代わる代用食はうどんくらいでした。
盛田善平は「パンは米の代用食となりうる」と確信し、大正8年、パン製造に乗り出したのです。
大正9年、製パン技師であるハインリッヒ・フロインドリーブ(Heinrich Freundlieb)を迎えて敷島製パンを創業しています。
ハインリッヒ・フロインドリーブは、ドイツ海軍に従軍し、軽巡洋艦エムデン(SMS Emden/インド洋で商船を攻撃)でパン製造を担当、その後、中国・青島でパン屋を開きますが、第一次世界大戦の勃発で再び海軍へ。
その後、連合軍側に参戦していた日本軍の捕虜となって日本に連行され、名古屋市の俘虜収容所へ収容されたのです。
大正8年に解放されると、盛田善平に請われて敷島製パンの初代技師長に就任、日本人女性と結構しています(後に神戸でパン屋を開店、NHK朝の連続テレビ小説『風見鶏』のモデルのモデルにもなっています)。
盛田善平、当初はマカロニづくりを目指した

愛知県はもともとお好み焼き、うどん・きしめんの小麦粉文化がありました。
余剰の小麦粉を使ってパンを作ろうというのは自然な発想だったのかもしれませんが、そこに運よく、ドイツ人の腕利きパン職人が登場したということに。
敷島製パンが実は愛知県半田市のミツカン(盛田家)も出資する企業なのは、盛田善平が盛田家出身だから。
ミツカンの創業家・中埜又左衛門(なかのまたざえもん/4代目)からビール製造の手伝いを請われて、独学でビール造りを学び又左衛門とともに丸三麦酒醸造所(「カブトビール」)を創業。
当初はビール製造に携わっていましたが、綿糸の糊付けに使用されていた小麦粉に着目し、明治32年、敷島屋製粉工場を半田町(現・半田市)に創業したのが、ルーツ。
最初はパンでなく、マカロニ製造を目指しましたが、穴を開ける技術がなく、開発が停滞していたときに、ハインリッヒ・フロインドリーブと出会ったのです。
ちなみに、愛知県の喫茶店文化も、「朝食はパン」というパン王国であることの証のひとつになっています。
| 敷島&フジ、愛知はなぜ「パン王国」なのか!? | |
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