善光寺『御印文頂戴』
善男善女が極楽往生(阿弥陀仏の浄土とされている極楽浄土への往生)を願って参詣する善光寺ですが、毎年1月7日~15日の9:00~16:00のみ執り行なわれる『御印文頂戴』(ごいんもんちょうだい)こそが、極楽往生が保証される…
善男善女が極楽往生(阿弥陀仏の浄土とされている極楽浄土への往生)を願って参詣する善光寺ですが、毎年1月7日~15日の9:00~16:00のみ執り行なわれる『御印文頂戴』(ごいんもんちょうだい)こそが、極楽往生が保証される…
2025年1月6日(月)、長野市の善光寺で『びんずる廻し』。善光寺本堂の一段高くなった妻戸台(かつて他阿上人が踊り念仏をした舞台の名残りという舞台)右脇にある「びんずる尊者像」をもみ上げ、参詣者とともに妻戸台の周りを5回…
善光寺の梵鐘は1667(寛文7)年に鋳造されたもので、国の重要美術品。鐘の音は環境庁の「日本の音風景100選」にも選定され、長野オリンピックの開会の鐘ともなりました。除夜の鐘では限定108名が先着で鐘を撞いて煩悩を払うこ…
意外に知られていませんが、横須賀市には鎌倉から遷ってきた寺、源頼朝や執権・北条家、さらには三浦一族などにゆかりの名刹、古刹も数多く、寺社巡りも楽しめる町です。そんな横須賀ですが、開かれたお寺が多く、市内15ヶ所の寺で除夜…
1560(永禄3)年頃開山という曹洞宗の寺、建功寺。開基は小田原の北条家に仕えていた5代目寺尾城主・諏訪右馬之助で、諏訪氏の菩提寺。除夜の鐘は、竹と3500本のろうそくで境内を幽玄に照らし出す『萬燈除夜の鐘』という異色な…
三田にある曹洞宗の慈眼寺(じげんじ)は、1593(文禄2)年創建の禅寺。もともと八丁堀にありましたが1635(寛永12)年、幕府の命で三田に移転しています。江戸城拡張工事に伴って、与力同心屋敷の用地が必要となったため八丁…
寺伝では、824(天長元)年、空海(弘法大師)が関東一円に真言宗を広めるために、高野山に模して開山したという元麻布(もとあざぶ)にある古刹。都内では金竜山浅草寺に次ぐという歴史を有しています。鎌倉時代に親鸞聖人が訪れた際…
長谷寺(ちょうこくじ)は、曹洞宗大本山永平寺の別院で、室町時代の創建。江戸時代には江戸観音霊場第22番札所として尊崇を集めました。本尊の十一面観音は、「麻布大観音」と呼ばれ親しまれています。
太田道灌が江戸城の鬼門(きもん=万事に忌むべき方角)である丑寅(うしとら/艮=北東)の方向を守るために開山した日蓮宗の寺、平河山本住院法恩寺。寺伝によれば豊臣秀吉、徳川家康も参詣したことがあるという名刹です。山号を平河山…
1192(建久3)年、源頼朝の命で梶原景時が荏原郡大井郷道塚(現在の品川区大井鹿島/当時は海岸でした)に建立した寺、慈眼山萬福寺(じげんざんまんぷくじ)。都内で初めての摩尼輪塔があります。
1019(寛仁3)年創建と伝わる真言宗智山派の古刹。往時は極楽寺と称し七堂伽藍を擁していました。第二次世界大戦で堂宇を焼失しましたが昭和48年に現本堂が再建、昭和63年には楼門ならびに鐘楼が、平成6年に蒲田不動尊が建立さ…
品川区にある真宗大谷派の心海寺(しんかいじ)。徳川家康の家臣で、三河国佐々木出身(現・愛知県岡崎市)の本多忠峯が、豊臣秀吉の小田原攻め際に手傷を負って出家して創建した寺。本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代(13世紀頃)に…
東海道品川宿で旅人に愛された真言宗醍醐派の品川寺(ほんせんじ)では、除夜の鐘を撞くことができる。大梵鐘は1657(明歴3)年鋳造の名鐘です。境内入口の地蔵菩薩座像は、江戸に出入りする6つの街道に安置された、江戸六地蔵の一…
地元では砂町大師と呼ばれ、「関東四大師に数えられている」とされるのが真言宗智山派の薬光山持宝院。例年、近くにある砂町銀座商店街による甘酒の無料接待も行なわれます。大晦日には除夜の鐘を撞くことができます。
木更津では唯一の真宗寺院の證誠寺(しょうじょうじ)。寺に伝わる伝説『狸囃子』は日本三大狸伝説のひとつで、童謡『証城寺の狸囃子』が作詞作曲され、境内には「狸ばやし童謡記念碑」もあります。
徳川家康が江戸入府の際、最初に参詣した寺といわれるのが増上寺。江戸時代には徳川家の祈願寺、菩提寺として繁栄しました。往時には武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)にありましたが、江戸城の拡張で家康により芝に遷され…
深川(東京都江東区)の浄心寺は、4代将軍・徳川家綱の乳母・三沢局(みさわのつぼね)ゆかりの日蓮宗の寺。三沢局の菩提を弔うため、1658(万治元)年に創建されました。江戸時代は、10万石の格式をもつ大寺院で、江戸十大祖師の…
天霊山妙久寺は、日蓮宗の寺。境内に石田波郷(いしだはきょう)の「はこべらや焦土の色の雀ども」の句碑もあります。日領上人の創建。第48代横綱大鵬幸喜の墓があることにも注目。大鵬は生前の平成20年にこの寺を墓所と決めています…