安土城 徳川家康邸跡(摠見寺仮本堂)
安土城の主郭部分の入口、黒鉄門跡へと通じる大手道の途中、前田利家邸跡を越えた右手が徳川家康邸跡。現在は摠見寺仮本堂となっています。織田信長が天正年間(1573年〜1592年)に甲賀から移したとされる寺です。
安土城の主郭部分の入口、黒鉄門跡へと通じる大手道の途中、前田利家邸跡を越えた右手が徳川家康邸跡。現在は摠見寺仮本堂となっています。織田信長が天正年間(1573年〜1592年)に甲賀から移したとされる寺です。
安土城の主郭(三の丸、二の丸、本丸)へと上る大手道の途中にあるのが羽柴秀吉邸跡。史料などによる正確な裏付けがないため、「伝羽柴秀吉邸跡」ということに。大手道を上り、前田利家邸跡の向かい側、大手道の左手に位置しています。
安土城の主郭部分の入口、黒鉄門跡へと通じる大手道の途中、摠見寺仮本堂(徳川家康邸跡)の手前右手に位置するのが前田利家邸跡。正確な史料がないため、特別史跡安土城跡の名称としては「伝前田利家邸跡」となっています。
安土城の主郭部分(三の丸、二の丸、本丸)の入口、黒鉄門(くろがねもん)へと続く大手側(玄関側)の登城ルートが大手道。発掘調査前の大手道は、安政時代に拡張した摠見寺(そうけんじ)の石垣で遮断されていました。平成6年に解体し…
滋賀県甲賀市(こうかし)水口町水口(みなくち)にある中世の城跡。標高282.8mの石英斑石(せきえいはんせき)の残丘、大岡山(古城山と呼ばれています)の山頂部に位置する山城です。天正13年(1585年)、羽柴秀吉は甲賀衆…
有明海に臨む原城の北3kmほどの南島原市の山中にある中世の平山城の城跡が日野江城跡(ひのえじょうせき)。島原半島一帯を支配した領主・有馬氏の居城で、有馬貴純(ありまたかずみ)の城主時代の明応5年(1496年)には支城とし…
大阪府南河内郡太子町にある古刹、叡福寺。飛鳥時代に推古天皇が厩戸皇子(うまやどのおうじ=聖徳太子)の墓所を守護するために創建と伝わります。推古天皇28年(620年)、厩戸皇子(聖徳太子)がこの地に自身の墓所を造営すること…
大阪府南河内郡太子町にある円墳で、宮内庁により「磯長墓」(しながのはか)、つまりは厩戸皇子(聖徳太子)の墓に治定。周辺には天皇陵4基(敏達天皇陵・用明天皇陵・推古天皇陵・孝徳天皇陵)があり、磯長谷古墳群(しながだにこふん…
天平13年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために諸国ごとに建立された国分寺ですが、越後の国分寺の位置はいまだに解明されていません。越後国の国府は、頸城郡(くびきぐん)にあったとされ、現在の上越市国府地区にあっ…
天智天皇2年8月(663年10月)、朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍の間で激戦となった白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)。その敗北の結果、大和朝廷は、北九州と瀬戸内海に…
四国霊場第84番の札所が屋島寺(やしまじ)。天平勝宝6年(754年)、鑑真和上(がんじんわじょう)が朝廷に招かれ奈良に向かう途中(2月4日に平城京に到着)、屋島北嶺に創建し、後に空海が南嶺に移したと伝えられている古刹。鎌…
国東半島(くにさきはんとう)に点在する六郷満山(ろくごうまんざん)のひとつで、養老2年(718年)、仁聞(にんもん)開基と伝わる天台宗の古刹が豊後高田市の富貴寺(ふきじ)。大堂(本堂)は、宇治平等院鳳凰堂(京都府)、平泉…
日米修好通商条約で慶応3年12月7日(1868年1月1日)に開港した神戸港(兵庫港)ですが、慶応4年4月2日(1868年5月23日)に兵庫港第3波止場として開設されたのがメリケン波止場。初代のアメリカ領事館(現・神戸郵船…
元治元年(1864年)5月、江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の進言で、大坂湾防備を念頭に神戸に築かれた海軍士官養成機関の跡が神戸海軍操練所跡。京橋筋南詰には錨(いかり)を模した神戸海軍操練所跡碑が立っています。
明石海峡が最も狭くなった舞子海岸に築造された幕末の砲台跡が旧明石藩台場跡(舞子砲台)。本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋の本州側のたもと、舞子公園の西の端に位置しています。幕府が明石海峡の警備強化のために、文久3年(1863…
神戸港のルーツ、メリケン波止場(メリケン波止場前交差点)に隣接する港公園に設置される石碑が神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑。仲良く2つの石碑が並び、左側が「海軍営之碑」、右側が陸奥宗光を讃える「陸奥宗光顕彰碑」です。
明石海峡に臨む神戸市垂水区にある巨大な前方後円墳が五色塚古墳。墳丘長194m、前方部の高さ11.5m、後円部の高さ18mで兵庫県下最大の前方後円墳で、周囲に幅10mの堀を巡らせています。4世紀末〜5世紀初頭にかけて築造さ…
横浜スタジアムのある横浜公園一帯は、幕末までは横浜村の海岸部で、安政3年(1856年)に埋め立てられた太田屋新田で陸に。その後、開港とともにさらに埋め立てられて港崎町(みよざきちょう)となり、その一画に港崎遊郭がつくられ…