北十間川
隅田川と旧中川結び、東京都墨田区、江東区を流れる全長3.24kmの運河が北十間川(きたじっけんがわ)。墨田区役所北側で、隅田川から分かれ、横十間川を南に分け、墨田区と江東区の区境をを東西に横断し、旧中川へと注いでいます。…
隅田川と旧中川結び、東京都墨田区、江東区を流れる全長3.24kmの運河が北十間川(きたじっけんがわ)。墨田区役所北側で、隅田川から分かれ、横十間川を南に分け、墨田区と江東区の区境をを東西に横断し、旧中川へと注いでいます。…
東京都江戸川区、荒川と旧中川の最大3.1mにもなる水位差を克服するために設けられた閘門(こうもん)が荒川ロックゲート。閘門は、パナマ運河が有名ですが東京都にもあり、この荒川ロックゲートは、平成17年10月に完成。完成…
東京都江戸川区、江戸川区と江東区にまたがる東京都立の防災公園、大島小松川公園の風の広場(旧中川と荒川に挟まれた広場)にあるのが旧小松川閘門(きゅうこまつがわこうもん)。荒川と中川の両放水路開削により水位差の調節を図るため…
富山県富山市、岩瀬地区と富山市中心部を結ぶ富岩運河(ふがんうんが)の開削に合わせて昭和9年に完成した閘門(こうもん=高低の差の大きい運河で、船を昇降させるための堰)が中島閘門。河口から3.1km上流に位置し、2.5mの水…
隠岐・島前(どうぜん)は、500万年前に形成された島前カルデラの外輪山と、外輪山に囲まれた内海とでできていますが、内海と、外海である日本海を結ぶ運河が西ノ島町にある船引運河。当時の黒木村・浦郷村の村営事業で、大正4年に全…
長良川の河口から上流へと遡ること12km、愛知県愛西市にある船頭平閘門(せんどうひらこうもん)は、明治時代の木曽三川分流工事によって生じた、木曽川と長良川を結ぶ運河水面の高低差(1mほど)を克服するために設置されたパナマ…
利根川と荒川の間の農村地帯(天領)で産する米を、江戸幕府の御米蔵(浅草御蔵)へと運ぶために開削された江戸時代の閘門式の運河である見沼通船堀のうち、芝川と見沼代用水東縁を結ぶ部分、つまりは運河の東端部が見沼通船堀東縁(みぬ…
享保16年(1731年)に開通した閘門式運河(こうもんしきうんが)の見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)のうち、見沼代用水西縁と芝川を結ぶのが見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)。さいたま市緑区にその遺構が残されてい…
さいたま市緑区、見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)に並行して広がる公園。駐車場はありませんが、JR武蔵野線の東浦和駅からも徒歩5分くらいなので、散策途中の寄り道には絶好の地。とくにここ…
都が東京に移った後の京都の発展の起爆剤とするため、琵琶湖の湖水を京都市街へと通し、発電、灌漑、さらには物資や旅客の運搬に活用しようという明治初期の一大プロジェクトが琵琶湖疏水建設。レンガや石で組まれた構造物には、明治の元…
滋賀県の琵琶湖と京都市を結ぶ琵琶湖疏水(びわこそすい/明治23年4月9日開通)は、発電や灌漑に利用するだけでなく、舟運にも使われましたが、途中の勾配を克服するため、傾斜鉄道(インクライン)を利用しました。伏見と蹴上にあり…
長崎県対馬市にふたつある運河のうちのひとつ。ひとつは日露戦争の直前に帝国海軍が掘削した万関瀬戸、そしてもう1ヶ所が、江戸時代初めの1672(寛文12)年に開削された大船越瀬戸(おおふなこしせと)です。対馬の西岸と東岸を結…
対馬(長崎県対馬市)にある対馬西部の浅茅湾(あそうわん)と東部の三浦湾(みうらわん)をつなぐ運河。運河上には国道382号の万関橋(現在の橋は3代目)が架橋されています。旧海軍の開削した運河で、建設当初は久須保水道と呼ばれ…
明治18年に着工し、当時の京都府の年間予算の約2倍という巨額の費用と約5年という歳月を費やして開通した琵琶湖疏水。琵琶湖の湖水を取水し、園城寺(三井寺)近くからトンネルとなって京都側に水を運んでいます。長さが2436mの…
大野庄用水は、天正年間(1573年〜1591年)に完成した金沢でもっとも古い用水。前田利家の家臣・富永佐太郎が開削したと伝えられますが定かでありません。延長は約10.2kmで、灌漑、防火、融雪、物資運搬、防御などのために…
大正3年から、小樽の沖合を埋立ておよそ9年の歳月をかけて造られた全長1314m、幅40mの運河。港外に停泊した大型船から艀(はしけ)で貨物を輸送するシステムで、そのために運河沿いには石造倉庫が並んでいます。港の埠頭(ふと…