大石田河岸跡
山形県北村山郡大石田町にある最上川舟運で栄えた川湊の跡が大石田河岸跡(おおいしだかしあと)。古代水駅が置かれ、戦国時代に最上義光(よしみつ)の最上川三難所の開削によって発展した、大石田の川湊(河岸)。最上氏(もがみし)は…
山形県北村山郡大石田町にある最上川舟運で栄えた川湊の跡が大石田河岸跡(おおいしだかしあと)。古代水駅が置かれ、戦国時代に最上義光(よしみつ)の最上川三難所の開削によって発展した、大石田の川湊(河岸)。最上氏(もがみし)は…
山形県酒田市の都市公園、日和山公園に移築された木造六角灯台。もとは最上川左岸河口の宮野浦に北前船で賑わう明治28年10月20日に建てられた酒田灯台(宮野浦灯台)で、後に対岸の大浜に移転。さらに昭和33年に近代灯台が完成し…
山形県酒田市、最上川河口にほど近く、酒田港を望む日和山公園。天候や海の様子を伺うといった、いわゆる日和見(ひよりみ)のために格好な丘陵地を一般的に「日和山」と呼んだことから、全国各地に日和山が存在しますが、この日和山公園…
岡山県倉敷市下津井、現存する廻船問屋を往時に近いかたちで復元し、下津井を訪れる人のビジターセンターにしたのが「むかし下津井回船問屋」。建物は、江戸時代に金融業と倉庫業を営んでいた荻野家の分家の西荻野家の住宅で、明治初期に…
北前船の寄港地である日本海側の各湊(各港)には、金刀比羅社が建つことが多いのですが、富山県富山市、神通川河口の東岩瀬地区に鎮座する金刀比羅社もそのひとつ。創建は江戸時代後期の文政3年(1820年)で、当時は神仏習合で栄え…
富山県富山市、富山外港の岩瀬港のシンボルとなっている展望台が富山港展望台。建つ場所は、かつて北前船の交易で栄えた神通川河口の東岩瀬地区。高さ24.58mの展望台は、近くに建つ金刀比羅社(琴平社)の常夜燈をイメージ。常夜燈…
古代、越中国の国府(国庁が置かれた場所)は、現在の富山県高岡市伏木にありました。歌人としても名高い大伴家持(おおとものやかもち)が越中国の国守として在任中の天平18年(746年)、宇佐神宮から宇佐八幡神を勧請して創建した…
かつて潮待ち湊として栄えた鞆の浦(広島県福山市鞆町)。瀬戸内海随一の要港だった頃の喧噪とは無縁の静けさですが、江戸情緒を色濃く残す街並みは今も健在。鞆七卿落遺跡周辺の白壁土蔵やベンガラ商家の家並みはもちろん貴重ですが、鞆…
広島県福山市鞆町の鞆の浦(とものうら)は北前船の寄港などで栄えた港町。鞆の港に入る船の目印となっていた石造の常夜灯が現存しています。寛政3年(1791年)に築かれたもので、今も鞆の浦のシンボルとなっています。その足下に広…
広島県福山市鞆町にある江戸時代の豪商で保命酒を醸した旧宅が太田家住宅。幕末に尊王攘夷派の三条実美ら七公卿も滞在したことから別名「鞆七卿落遺跡」とも。18世紀中期から19世紀前期に建てられた全9棟からなる住宅は、江戸時代、…
永禄9年(1566年)、毛利元就(もうりもとなり)は、尼子氏を降し、石見国平定後に銀の積出港を輌ヶ浦(仁摩)から温泉津(ゆのつ)・沖泊に移しています。沖泊の湾岸には、凝灰岩の岩盤を加工して造られた鼻繰岩(はなぐりいわ)と…
温泉津(ゆのつ)から谷ふたつ北側にある天然の良港が沖泊。石見銀山から9km西に位置する湊(みなと)で、石見銀山の支配が毛利氏に移った16世紀後半、銀の積み出しと石見銀山への物資補給がこの沖泊の湊で行なわれました。温泉津沖…
リアス式海岸の奥行き1.2kmという深い入江を利用した天然の港が島根県大田市の温泉津港(ゆのつこう)。平安時代にはすでに温泉が発見され、毛利氏支配の中世には温泉津は銀の積み出しや石見銀山の鉱山町が消費する生活物資の集積地…
江戸時代には銀山奉行支配の幕府直轄領となり、17世紀初めまでは石見銀の積み出し港として繁栄した島根県大田市の温泉津(ゆのつ)。平成19年7月に世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産。銀山衰退後は北前船の出…
京都府舞鶴市の西地区(西舞鶴)を流れる高野川河口の竹屋町にある倉庫群。これは、田辺城の城下町だった藩政時代から明治時代まで廻船業を中心に栄えた町並みが残るもので、大壁造り土蔵が軒を連ねています。西側の湾奥、現在の舞鶴西港…
9月第3月曜(敬老の日)前の土・日曜、青森県むつ市の川内八幡宮(かわうちはちまんぐう)で『例大祭』が執り行なわれます。県内随一の大きさを誇る山車と神輿が古式ゆかしく町を練り歩きます。土曜が宵宮で夕方、八幡宮前に5台の山車…
隠岐ユネスコ世界ジオパークに登録される、隠岐の自然と世界ですが、島前(どうぜん)と呼ばれる西ノ島(島根県西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)を形成するのが島前カルデラ(火山性の陥没地形)。島前カルデラの中央火…
佐渡の宿根木村(現・佐渡市宿根木)は16世紀末頃、出雲崎から廻船業者が移住して廻船業を始めたと伝えられる湊町。南佐渡最大の湊として発展し、北前船の全盛期の江戸後期から明治半ばには経営者である船主と船頭、そして船乗り、船大…