飛鳥京に築かれた「日本最古の庭園」は、大陸文化と日本文化の融合で誕生
世界文化遺産の登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都」。東アジアとの政治的・文化的交流によって中央集権体制に基づいた宮都が誕生し、日本国誕生の舞台となった飛鳥京ですが、同時に「日本庭園」のルーツともいえる庭が築かれていました。そ…
世界文化遺産の登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都」。東アジアとの政治的・文化的交流によって中央集権体制に基づいた宮都が誕生し、日本国誕生の舞台となった飛鳥京ですが、同時に「日本庭園」のルーツともいえる庭が築かれていました。そ…
京都府城陽市にある前方後方墳が、芝ヶ原古墳(しばがはらこふん)。久津川古墳群(くつかわこふんぐん)の支群、芝ヶ原古墳群の1基で、建造されたのは女王・卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国があった3世紀前半〜中期。弥生時代から古…
倭国に邪馬台国(やまたいこく)が栄えた弥生時代(3世紀)の環壕集落が、大阪府高槻市の安満遺跡(あまいせき)。その背後の丘陵に築かれた安満宮山古墳(あまみややまこふん)から出土した銅鏡のうち、「青龍三年」銘の銅鏡が、『魏志…
古墳時代を調べると「古墳築造が隆盛を極めた時代」、そして弥生時代は「稲作が伝来し、食糧生産が始まってから前方後円墳が出現するまでの時代」となっています。ところが邪馬台国の卑弥呼が女王として君臨した3世紀の弥生時代にも巨大…
3世紀末の中国の史書『魏志倭人伝』に記される女王・卑弥呼が治める邪馬台国(やまたいこく)。九州説では佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)ではないかと推測する人が多いのですが、畿内説の有力な候補として浮上しているのが奈…
大化2年(646)1月に発布された大化の改新の詔(みことのり)により、公地公民の制が確立され、律令制、そして天皇を中心とした中央集権国家の構築が始まりますが、実はその時代、一般庶民はまだまだ竪穴住居に暮らし、館(やかた)…
後漢滅亡後、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)が分立した中国・三国時代。魏の使節が倭の女王、卑弥呼を目指した記録が、『魏志倭人伝』です。北九州・福岡県あたりまでは当時の王都も特定されているので、Google Map(グーグ…
『魏志倭人伝』には3世紀の倭の女王の都が置かれた邪馬台国(やまたいこく)を中心に、多くの国々が存在したことが記されています。対馬、壱岐をへて海路、北九州に至り、不彌国(ふみこく)から再び「水行二十日」という長旅で投馬國(…
3世紀、中国・三国時代の魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)のうち、魏の使節が倭国を訪ねた記録が『魏志倭人伝』。対馬、壱岐を経て九州・末盧國(佐賀県唐津市)に上陸後、陸路、伊都國(福岡県糸島市)、大国の奴國(春日市)を経て、…
3世紀に三国時代の中国・魏の使節が倭国を訪れた際の記録が『魏志倭人伝』。弥生時代後期に小国が群雄割拠しながら、邪馬台国の配下となっていた時代です。使節は朝鮮半島から対馬、壱岐を経て、末廬國(佐賀県唐津市)へ。さらに陸路で…
中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻、通称『魏志倭人伝』に記された魏(220年〜265年)の使節の記録。日本では弥生時代の末期、小国家が形成された時代です。朝鮮半島から対馬、壱岐を経て北九州の末盧國(現・松浦=佐賀…
3世紀の倭(日本)の女王の都が置かれた邪馬台国を探る手がかりとなる『魏志倭人伝』。その記述から朝鮮半島南部から対馬、壱岐を経て、北九州に至る行程がわかっていますが、九州で最初の訪問国となったのは、末廬國(まつらこく)。現…
中国の歴史書『三国志』中にある『魏志倭人伝』は、3世紀後半に記された倭人の記録。朝鮮半島から海を渡ってますは對馬國(現・長崎県対馬市)へ。再び海路目指したのが一支國(いきこく)です。『魏志倭人伝』には「一大國」と記されて…
『魏志倭人伝』は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。3世紀末に西晋の陳寿が記した3世紀の日本を知る貴重な史料です。朝鮮半島から対馬を経て「邪馬台国」(やまたいこく)への道筋ですが、倭国…
天智天皇2年(663年)、朝鮮半島の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で、唐・新羅連合軍に大敗した倭国(ヤマト王権)は、対馬、北九州、瀬戸内海に防御の拠点として数多くの山城(砦)を築いています。これが日本史上初となる…
古代東北の政治文化の中心だった陸奥国府多賀城の創建1300年を記念して進められている多賀城外郭南門(宮城県多賀城市)の復元工事。国の特別史跡に指定される多賀城跡で、今回復元される南門は、高さ14m、幅33m、復元構想から…
奈良県高市郡明日香村と橿原市の境、藤原宮の東南の条坊内に計画的に配置された古代寺院の跡が、大官大寺跡(だいかんだいじあと)。飛鳥・藤原地域で建立された古代寺院の中では最大の寺院でしたが、現在は石碑がその場所を示すのみとな…
奈良県高市郡明日香村にある飛鳥時代(古墳時代終末期)の687年(持統天皇元年)に築かれたと推測される八角墳が、野口王墓(のぐちのおうのはか)。宮内庁は檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)として、天武・持統天皇陵に治…