都営バス23区最長路線 王78に乗車(王子駅前→新宿駅西口)
都バスの23区内最長路線は、王78(王子駅前〜新宿駅西口)の18.27km。なんと北区、板橋区、練馬区、杉並区、中野区、新宿区と6区を横断します。これだけ乗車して運賃は大人210円(ICだと206円)。本数も日中なら1時…
都バスの23区内最長路線は、王78(王子駅前〜新宿駅西口)の18.27km。なんと北区、板橋区、練馬区、杉並区、中野区、新宿区と6区を横断します。これだけ乗車して運賃は大人210円(ICだと206円)。本数も日中なら1時…
江戸時代、将軍家の別邸、浜御殿が建てられ、6代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)が造園を完成させた大名庭園。明治維新後は皇室の離宮となり、浜離宮と呼ばれるように。戦後、都の公園として移管。入口近くの将軍・家宣の大改修を記…
1678(延宝6)年、佐倉藩主で老中・大久保忠朝(おおくぼただとも)が4代将軍・徳川家綱から拝領した大名庭園「楽壽園」が前身となるのが旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)。往時には江戸湾に面し、海の水を庭…
日本の一等地、銀座4丁目の交差点にそびえる和光本館。銀座に特別な建築美と高級感を漂わせ、銀座の「ハイカラ感」を演出するシンボル的な存在になっています。というわけで、日本建築士会連合会の「東京都のランドマーク」にも認定され…
幕末の大事件、一気に明治維新への流れとなった有名な桜田門外の変は、多くの映画化、ドラマ化がされていますが、殺害された井伊直弼(いいなおすけ)が住んでいたのが彦根藩井伊家上屋敷。門前には桜の井、柳の井という有名な井戸もあっ…
東京にはいろいろな原点、元標がありますが、中央区、日本橋の橋の上にあるのが日本国道路元標(Kilometer Zero)。その名の通り、道路の起点となるポイントを示したものです。日本橋にあるのは、徳川幕府が定めた五街道(…
日比谷の東宝日比谷ビル(「日比谷シャンテ」)北側敷地内の「日比谷ゴジラスクエア」に置かれたゴジラ像。もともとはゴジラ40周年を記念して旧・合歓の広場に設置されたものですが、2018年3月23日にリニューアルされ、「日比谷…
街路樹の歴史は遠く奈良時代まで遡ります。759(天平宝字3)年、太政官符が発せられ、畿道七道に果樹並木が植栽されました。東京で最初の並木は、明治7年、近代的街路樹として銀座通りにクロマツ、桜が、そして内堀通りにニセアカシ…
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎は、徳川四天王で、初代彦根藩主・井伊直政(虎松)の養母。1632(寛永9)年、2代藩主・井伊直孝は、3代将軍・徳川家光の後見役となり、熊本藩・加藤家の屋敷だった地を江…
首都・東京には、日本国内の様々な「原点」がありますが、これもそのひとつ。国会前庭の北庭、憲政記念館前にあるのが、日本の標高の基準となる「日本水準原点」です。実は、日本の標高は、東京湾の平均海面が基準ですが、それでは干満な…
徳川幕府の終焉の時代と、広く世の中が認識した幕末の大事件が『桜田門外の変』。江戸城西の丸入口、外桜田門で、安政7年3月3日(1860年3月24日)、水戸藩からの脱藩者らが、時の大老・井伊直弼(いいなおすけ)を殺害するとい…
江戸城の小田原口に1636(寛永13)年、外濠などを巡らせた江戸城総構(惣構=そうがまえ)の際に桝形門に改築したのが桜田門。1860(安政7)年、この桜田門の外で、水戸藩浪士らによる大老・井伊直弼(いいなおすけ)の暗殺事…
東京周辺に住む人でも江戸城に行ったことがある人、江戸城をじっくり見たことがある人は少ないかと。江戸城は、西の丸部分がいわゆる皇居で、皇居一般参観の許可(インターネット申請も可能)が必要。天守台跡があるのが皇居東御苑、さら…
北の丸公園の日本武道館への入口に位置する門。太田道灌(おおたどうかん)築城時代の江戸城では、この場所が田安口(飯田口)で、上州(現・群馬県)・北関東方面への街道の玄関口となっていました。江戸時代初期、江戸城の総構が完成し…
江戸城北の丸(現・北の丸公園)の東門。高麗門と渡櫓門からなる門は、江戸時代のものが現存し、国の重要文化財に(文化庁の管理)。清水門という名の由来は、家康入府で江戸城が築城される以前、中世には清水寺が建っていたとか、清水が…
大手町のビル街のなかにひっそりと眠っているのが将門塚(しょうもんづか)と通称される平将門(たいらのまさかど)の首塚。もともと神田明神の祀られていた地でもあり、東京を代表するパワースポット。江戸時代には江戸城・大手門を守る…
皇居参観へは桔梗門(内桜田門)の前にある広場に集合しますが、目の前の桔梗濠(ききょうぼり)の向かいにそびえる二重櫓(にじゅうやぐら)が桜田巽櫓(さうらだたつみやぐら)。江戸城本丸の東南(辰巳=巽)の方向にあることが名の由…
江戸城西の丸の西南隅に建てられた二重櫓で、両横には大規模な多聞(たもん=防御を兼ねた収蔵庫)も続いています。1628(寛永5)年、3代将軍家光の時代の江戸城修築に際して、京・伏見城から移築したものと伝えられています(記録…