天上山・不入が沢
東京都神津島村、神津島の中央にそびえる天上山、白島下山口(白島登山道の山頂)近くにある凹地が不入が沢(はいらないがざわ)。神津島に伝わる「水配り神話」で、伊豆諸島の神々が集まったとされるのがこの不入が沢で、今も神聖な場所…
東京都神津島村、神津島の中央にそびえる天上山、白島下山口(白島登山道の山頂)近くにある凹地が不入が沢(はいらないがざわ)。神津島に伝わる「水配り神話」で、伊豆諸島の神々が集まったとされるのがこの不入が沢で、今も神聖な場所…
東京都神津島村、神津島の中央にそびえる天上山(標高571.8m)の北部、櫛ヶ峯(503mのピーク周辺)を眺める展望地が新東京百景展望地。「天上山の展望」として新東京百景展望地に選定された絶景の地で、ハート型の池として人気…
東京都神津島村、最高峰で標高571.8mながら、洋上のアルプスともいえる特異の景観を展開する天上山。島の大部分が天上山(山岳地帯)ですが、その山上で最大の池が不動池です。信仰の対象ともなり、中島にクラカラ剣と石の龍王が祀…
東京都神津島村、神津島の中央にそびえる天上山(標高571.8m)。山上の北側は平安時代初期の承和5年(838年)の噴火活動で火口から噴出した軽石や火山灰が堆積した火砕丘が主体の白島、南側が溶岩ドーム群の黒島ですが、黒島に…
東京都神津島村、神津島の中央にそびえる天上山(標高571.8m)。山上には平安時代初期の承和5年(838年)の噴火で誕生した溶岩ドームに由来する2つの砂漠地帯があり、少し小さい方の砂漠が表砂漠です。黒島登山口、白島登山道…
東京都神津島村、神津島の島の中央にそびえる天上山。標高は標高571.8mとさほどではありませんが、御蔵島(みくらじま)の御山と並び、登山愛好家を虜(とりこ)にする魅力あふれる山です。その山上にあるのが不思議な景観を醸し出…
東京都神津島村、神津島随一、伊豆七島屈指ののダイナミックな景観を誇るのが、島の東側にある多幸湾。背後には島の最高峰・天上山から一気に落下する、高さ500mの断崖が迫り、砂浜、青い海、松の茂る丸島と、白い断崖のコントラスト…
東京都神津島村、標高571.8m、神津島の最高峰が天上山。山頂部には、眺望の良い天空の丘、黒島展望山、花崗岩の砂礫が堆積し荒涼とした表砂漠、裏砂漠、火口原に雨水がたまってできた千代池、不動池、ババア池、さらには異国人到来…
東京都神津島村錆崎、神津島の玄関口、神津島港の北2kmほど、沢尻湾にある日帰り入浴施設が神津島温泉保養センター。館内の湯船とは別に、水着着用で入浴する混浴の露天風呂は3ヶ所あり、100人以上入れる巨大な露天風呂、沢尻湾を…
東京都大島町、伊豆大島の北東、西風が強い日に東海汽船の大型客船「さるびあ丸」、ジェット船が入港する岡田港に隣接する小さいながらも砂浜のビーチが日の出浜。日の出を眺めるのがその名の由来です。岡田港で下船の際には、徒歩2分で…
東京都大島町、火山島である伊豆大島の南部、差木地(さしきじ)、トウシキの鼻にある海水浴場がトウシキ遊泳場。溶岩流の海岸線で、プール状になった入江を生かしたのがトウシキ遊泳場。透明度が高く、スノーケリングにも絶好ですが、か…
東京都大島町、伊豆大島の南端、波浮港(はぶみなと)にある明治時代に建築された旧家が旧甚の丸邸(きゅうじんのまるてい)。波浮港は、承和5年(838年)、マグマ水蒸気爆発でできた火口を掘削した天然の良港で、甚の丸邸は、網元で…
東京都大島町泉津、伊豆大島を周回する東京都道208号(大島循環線)の泉津地区(大島を時計回りに周回して、岡田港の先にあるのが泉津地区)の旧道にあるSNSでも話題の奇観が泉津の切通し。都道途中から横に、切り通し状になった石…
東京都大島町、伊豆大島に2つある港のひとつが岡田港。元町港がメインの港ですが、西風を受けると桟橋が冠水し、岡田港の寄港になります。岡田港は伊豆大島の北東部に位置し、西風が吹いた際にも島影で波が穏やかなため利用ができるので…
東京都大島町、伊豆大島最大の町、元町にあるのが元町港で、岡田港と並ぶ玄関港のひとつ。東京・竹芝桟橋、横浜・大桟橋などからの東海汽船の大型客船「さるびあ丸」、竹芝桟橋、熱海港などからのジェット船が発着しています(季節運航で…
東京都大島町、伊豆大島にある空の玄関口が大島空港。昭和27年に村営の大島飛行場として開場し、昭和35年から東京〜大島の定期便が運航。現在は調布飛行場からの新中央航空と、東邦航空の東京愛らんどシャトル(ヘリコミューター路線…
東京都大島町岡田、伊豆大島の北端は乳が崎ですが、その東にある風早崎の突端に建ち、岡田港へ入出港する船を見守るのが伊豆大島灯台(正式名は大島航路標識所)。大正15年に再建のコンクリート製のレトロな灯台で、塔高は15.6mで…
東京都大島町、伊豆大島の南東部、カキハラ磯の北、筆島を眼前にする海岸にあるのがオタア・ジュリアの十字架。慶長17年(1612年)、神津島へ遠島になった家康の側室付きの侍女オタア・ジュリア(ジュリアおたあ)に因んだもの。