平安名埼灯台
昭和42年3月27日、当時の琉球政府(沖縄県が日本に返還される前)によって、宮古島の東端、東平安名岬(ひがしへんなざき)の先端に設置された白亜の灯台が平安名埼灯台。東平安名岬周辺は暗礁が散在するため、地元漁民や大型貨物船…
昭和42年3月27日、当時の琉球政府(沖縄県が日本に返還される前)によって、宮古島の東端、東平安名岬(ひがしへんなざき)の先端に設置された白亜の灯台が平安名埼灯台。東平安名岬周辺は暗礁が散在するため、地元漁民や大型貨物船…
八重山諸島の西端、日本の最西端に位置する与那国島(よなぐにじま)。台湾との距離は111kmで、石垣島からよりも近く、方言を含め独特の文化が発達した地。島の西端に位置する西崎(いりざき)には、日本最西端の碑が立つほか、岬の…
西表島(いりおもてじま)の南25kmに浮かぶ、日本最南端の有人島が波照間島(はてるまじま)。琉球石灰岩からなることから、「最果てのサンゴ(うるま)の島」という意味をもっています。そんな波照間島の南端、高那崎に立つのが、日…
平成15年、平成18年にフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ『Dr.コトー診療所』。吉岡秀隆演じる医師・五島健助が勤務したのが沖縄県八重山群島の志木那島(しきなじま)。島は架空の島ですが、ロケ地として使われた志木那島診…
東シナ海と太平洋の境界、八重山群島・与那国島(よなぐにじま)の西端、西崎(いりざき)に建つのが西埼灯台(いりさきとうだい)。日本最西端の灯台で、しかも日本最西端の建造物になっています。晴れた日には灯台横から遠く台湾を眺望…
昭和57年に完成した宮城島と伊計島(いけいじま)を結ぶ全長198mの橋が伊計大橋。勝連半島と平安座島(へんざじま)は海中道路で結ばれ、平安座島と宮城島が桃原橋で繋がっているので、勝連半島と伊計島はドライブで到達可能です。
沖縄県うるま市の浜比嘉島(はまひがしま)と平安座島(へんざじま)とを結ぶ沖縄県道238号(浜比嘉平安座線)途中にある全長1.43kmの海上橋。県道238号は全長が2.27kmだから、大部分が海上橋ということになります。「…
宮古島とその沖にある来間島(くりまじま)とを結ぶ全長1690mの海上橋が来間大橋(くりまおおはし)で、平成7年に農道として開通。農道橋としては日本最長でしたが、現在では宮古島市道来間大橋線の一部になっています。伊良部大橋…
今帰仁村の屋我地島とその北に浮かぶ古宇利島(こうりじま)を結ぶ県道247号(古宇利屋我地線)の古宇利大橋。平成17年に完成した全長1960mの橋で、橋の北詰(古宇利島側/今帰仁村)には古宇利ビーチ、古宇利港があります。ビ…
沖縄本島北部の屋我地島(やがじしま/名護市)と今帰仁村(なきじんそん)の古宇利島(こうりじま)を結ぶ沖縄県道247号(古宇利屋我地線)途中にある海上橋。難工事の末に平成17年に完成した全長1900mの橋で、宮古島と伊良部…
宮古島北端の世渡崎と池間島を結ぶ全長1425mの橋が池間大橋で、沖縄県道230号(池間大浦線)の一部。池間大橋の上から見る海は絶景で、平成4年の開通以来、宮古島随一のビュースポットとして人気。『全日本トライアスロン宮古島…
沖縄県宮古島市の宮古島と伊良部島とを結ぶ海上橋で、全長3540mという長大な橋。沖縄県道252号平良下地島空港線の一部で、無料の橋、無料の海上橋としては日本一の長さを誇っています(東京アクアブリッジ、明石海峡大橋、関西国…
海士ヶ瀬戸(あまがせと)に隔てられた離島・角島(つのしま)と、本土とを結ぶのが、全長1780mの角島大橋。かつて角島との往来は渡船に頼っていましたが、平成12年の大橋完成後、気軽に島に渡ることができ、新たな観光名所のひと…
角島(つのしま)に渡る角島大橋を一望にする絶景ポイントが海士ヶ瀬公園(あまがせこうえん)。角島大橋は車のCMでも使われる絶景の橋ですが、その橋を一望にできます。 道を渡った展望台が絶景スポット 公園内には、公衆トイレと、…
関門海峡を一望にする景勝地、火の山(268.1m)の2合目にある壇ノ浦駅と9合目(火の山公園)の火の山駅とを結ぶ下関市営の火の山ロープウェイ。下関市火の山パークウェイの開通や観光客の減少で利用客が減少で休止されたこともあ…
源平の最終決戦となった壇之浦の合戦で平家一門が敗れ、二位尼(にいのあま)に抱かれ、数え年8歳だった安徳天皇(平清盛の孫)は入水して命を絶ちます。赤間神宮の水天門は、入水した安徳帝を慰めるために竜宮城に見立てて建てられてお…
赤間ヶ関阿弥陀寺(今の赤間神宮)に住む盲目の琵琶法師・芳一の演奏する壇之浦の下りに平家の亡霊がその調べに聞きいるという「耳なし芳一の話」。昭和32年に建立された赤間神宮境内の芳一堂。その名の通り、山口県防府市出身の彫刻家…
赤間神宮にある平教盛、平知盛、平経盛、平教経、平資盛、平清経、平有盛、平盛継、平時子(従二位尼)など平家一門を祀る七盛塚。彦島にある平清盛と合わせて盛の付く武将が7人いるのが七盛塚という名の由来とか。