道の駅なるさわ・不尽の名水
山梨県南都留郡鳴沢村鳴沢、富士山の北麓を東西に走る国道139号沿いにある道の駅なるさわに併設の水汲みスポットが、不尽の名水(ふじのめいすい)。富士山に降った雨や雪が地下浸透したものを、地下300mから汲み上げた水汲みスポ…
山梨県南都留郡鳴沢村鳴沢、富士山の北麓を東西に走る国道139号沿いにある道の駅なるさわに併設の水汲みスポットが、不尽の名水(ふじのめいすい)。富士山に降った雨や雪が地下浸透したものを、地下300mから汲み上げた水汲みスポ…
山梨県南都留郡鳴沢村、富士山の北麓、国道139号沿いにあり、富士山を正面に眺望する道の駅が、道の駅なるさわ。JA鳴沢村の直売所でもある物産館、軽食コーナー、富士山の自然と歴史を学べる「なるさわ富士山博物館」、溶岩樹型があ…
東京都足立区堀之内1丁目、荒川の五色桜堤の北東にある足立区立の公園が、堀之内北公園 。小規模ながら恐竜のオブジェが配された「恐竜公園」として地元では有名です。滑り台、コンビネーションジム、ブランコ、バーゴラ、ハ…
山梨県甲州市塩山牛奥、甲州市の東山東部広域農道は、別名フルーツラインと呼ばれように、周囲にはブドウ、桃、サクランボ畑が広がっており、果物狩りが楽しめる観光農園も点在。なかでも塩山・牛奥トンネル(塩勝トンネル)北側の牛奥み…
山梨県甲州市塩山上於曽、江戸時代中期、享保年間築造の民家、高野家の屋敷で、国の重要文化財に指定されるのが、旧高野家住宅甘草屋敷(きゅうたかのけじゅうたくかんぞうやしき)。本屋以外に巽蔵、馬屋、東門、文庫蔵、小屋が現存、屋…
東京都足立区西新井5丁目にある足立区立公園が、新西新井公園。公園に配されるタコの滑り台は、足立区に12ヶ所あるタコの滑り台の中では元祖で、「飛べ! タコ星人ロケット」が正式名。デザインも公募で選ばれたというこだわりの滑り…
東京都品川区東品川2丁目、東品川3丁目、天王洲アイルとその南に位置する品川区立の公園が、東品川海上公園。目黒川の河口、天王洲運河との合流点に位置し、北側エリアにあるのがクジラの滑り台。江戸湾のクジラを天王洲に追い詰めた「…
東京都立川市錦町1丁目、JR立川駅から東に数分歩いた立川通り・立川立体(JRをアンダーパス)近くにあるのが、錦第二公園(にしきだいにこうえん)。赤鬼の滑り台があるので、「オニ公園」と通称されています。鬼のお面のような顔つ…
東京都足立区舎人6丁目にある足立区立の児童公園が、舎人いきいき公園(とねりいきいきこうえん)。赤鬼、かちかち山、浦島太郎の竜宮城など、昔話をモチーフにした遊具が配されていますが、注目は、赤鬼の滑り台。真っ赤な鬼の上半身で…
東京都新宿区赤城下町、東京メトロ東西線神楽坂駅の北にある新宿区立の児童公園が、あかぎ児童遊園。住宅街にある貴重なオープンスペースですが、注目は高低差を活かした象の滑り台。昭和44年11月27日に開園、平成4年の改造で、S…
東京都北区王子1丁目、飛鳥山公園(あすかやまこうえん)の旧渋沢庭園に立つのが、渋沢栄一像(しぶさわえいいちぞう)。旧渋沢庭園一帯は、近代日本経済の父といわれる渋沢栄一が明治12年から亡くなる昭和6年まで暮らした場所。大正…
東京都北区王子1丁目、江戸時代には江戸近郊の行楽地として賑わった飛鳥山。北区立公園の飛鳥山山公園は、明治6年3月に太政官布達で公園となった日本最初の公園のひとつですが、SNSでも話題となっているのが、象の滑り台。児童エリ…
福岡県田川市伊田、筑豊炭田随一の規模を誇った三井田川鉱業所伊田坑の跡地に整備され、平成17年に開園したのが石炭記念公園。『炭鉱節』に「あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん 煙たかろ」と唄われた煙突は、旧三井田川鉱業所第…
福岡県田川市伊田、筑豊炭田随一の規模を誇った三井田川鉱業所伊田坑の跡地は石炭記念公園として整備されていますが、第一煙突、第二煙突とともにシンボル的な存在になっているのが、旧三井田川鉱業所・伊田竪坑櫓(きゅうみついたがわこ…
東京都青梅市御岳山、御岳山(みたけさん)の山上、武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)社前の宿坊街にそびえ立つのが、御岳の神代ケヤキ。武蔵御嶽神社の参道途中にある樹高30m、幹囲り8.2mというケヤキの巨木で、日本武尊(や…
東京都文京区本郷1丁目、住宅街の一角にそびえる楠(クスノキ)の巨木が、本郷弓町のクス(ほんごうゆみちょうのくす)。樹高20m、幹周り8.5m、推定樹齢600年という。司馬遼太郎の『街道をゆく』本郷界隈にも、江戸時代から有…
東京都台東区上野公園、上野恩賜公園の国立科学博物館近くに立つのが、野口英世像(のぐちひでよぞう)。医学者らしく右手に試験管を持つ立像は、昭和22年、福島県出身の玉応不三雄(玉應不三雄.・たまおふみお)が造立運動を開始した…
東京都練馬区東大泉6丁目、「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎(まきのとみたろう)博士が大正15年から昭和32年に没するまで暮らした邸宅の「我が植物園」と愛した庭を公園にしたのが、牧野記念庭園。庭の一角にはスエコザサ…