福沢諭吉誕生地の碑

福沢諭吉誕生地の碑

大阪府大阪市福島区福島1丁目、堂島川に架かる玉江橋の北詰近く、ABCホール脇あるのが、福沢諭吉誕生地の碑。天保5年12月12日(1835年1月10日)、慶應義塾大学の創立者で『学問のすゝめ』(學問ノスヽメ)で知られる福沢諭吉は、この地にあった中津藩蔵屋敷で生まれています。

福沢諭吉は中津藩蔵屋敷で生誕

福沢諭吉誕生地の碑

父・福沢百助は諭吉が1歳8ヶ月のとき大坂(現・大阪)で急死、そのため福沢諭吉も母に連れられ、故国・中津(現・大分県中津市)に戻り、おもに儒学、漢学を学んでいます。

その後、黒船来航で、兄の勧めで砲術の知識を得るためオランダ語、蘭学を学ぶため、19歳で長崎に遊学。

安政元年(1854年)、長崎遊学を終え江戸へ上る途中、大坂の蔵屋敷へ立ち寄っていますが、兄の勧めで、翌年3月、緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾に入門し、後に塾頭になっています。

福沢諭吉の誕生を祝う周年行事は25年ごとに行なわれており、昭和9年に開催の100年は、東京・三田、神奈川県・日吉とともに大阪で開催、125年は大阪で、150年は東京・三田、そして平成22年の『福沢諭吉先生生誕175年記念式典・講演会』は、大阪で行なわれています。
意外に知られていませんが、大阪は、東京・三田、故郷・中津、遊学先の長崎とともに福沢諭吉ゆかりの地となっているのです。

福沢諭吉誕生地の碑前の川沿いには緑道も整備され、中之島リバークルーズほたるまち港、中之島の水辺拠点となるシンボルツリー「ドリカムツリーほたるまち」などがあります。

「天下の台所」大坂には諸藩の蔵屋敷が100以上あった!

大坂にあった諸藩の蔵屋敷は、西廻り航路(北前船)の終点で、上方(大坂)でのみ入手できる必需品を購入、さらには藩で生産された米などを堂島米市場で売ることで藩の資金を調達するために建てられたものです。

大坂に蔵屋敷を設置した藩は明暦元年(1655年)には66邸でしたが、元禄16年(1703年)には90に、さらに天保6年(1835年)には103邸、天保年間(1830年〜1844年)のピーク時には124邸を数えるまでに増加し、「天下の台所」だったことを証明しています。
その蔵屋敷が建ち並んだのが、舟運の便に恵まれた中之島、堂島界隈です。

中津藩の蔵屋敷の横にも小倉藩、宍栗藩、今治藩、杵築藩などの蔵屋敷が並んでいました。

福沢諭吉誕生地の碑
名称 福沢諭吉誕生地の碑/ふくざわゆきちたんじょうちのひ
所在地 大阪府大阪市福島区福島1-1
関連HP 大阪市公式ホームページ
電車・バスで 京阪電気鉄道中之島駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 大阪市教育委員会事務局総務部文化財保護課 TEL:06-6208-9166/FAX:06-6201-5759
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
福沢諭吉像

福沢諭吉像

東京都港区三田2丁目、慶應義塾大学三田キャンパス内にあるのが、福沢諭吉像。慶應義塾図書館(旧館)とともに慶應義塾のシンボル的存在で、三田演説館前に置かれた像は、昭和29年、福澤先生銅像建設会の寄贈で、柴田佳石制作の胸像。合格祈願スポットとし

福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館

福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館

大分県中津市留守居町にあるのが、福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館。数回の外遊で学んだ知識で多くの子弟の教育にあたり、幕末から明治の文明開花期、慶應義塾を創立し、日本の民主化に深く関わった啓蒙思想家・福沢諭吉の旧居で、福沢諭吉関連の資料を展示する

福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館

福澤諭吉旧居・福澤諭吉記念館

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生田門

生田門

大分県中津市三ノ丁、中津城下・三の丸跡にある江戸時代の門が、生田門(しょうだもん)。奥平中津藩家老・生田家の門です。福沢諭吉の強い助言で、明治4年11月、中津市学校が開校した際には校門として使われ、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず

 

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