田ノ原天然公園
長野県木曽郡王滝村、御岳山王滝口7合目、標高2200m~2300mに広がる天然の庭園が、田ノ原天然公園。ゆるやかな高原地帯に、湿原や池塘(ちとう)が点在し、自然観察には最適。車道が通じており、亜高山帯の矮小化した針葉樹越…
長野県木曽郡王滝村、御岳山王滝口7合目、標高2200m~2300mに広がる天然の庭園が、田ノ原天然公園。ゆるやかな高原地帯に、湿原や池塘(ちとう)が点在し、自然観察には最適。車道が通じており、亜高山帯の矮小化した針葉樹越…
長野県木曽郡木曽町、木曽(木曽福島)と飛騨(高山)を結ぶ飛騨街道最大の難所といわれたのが、地蔵峠。峠は御岳山(おんたけさん)を望む絶好のビューポイントで、霊山御岳の頂から裾野まで、ほぼ全容を目にすることができます。峠経由…
愛知県蒲郡市神ノ郷町、国道23号蒲郡バイパス・蒲郡ICの南西にあるのが、上ノ郷城。戦国時代、鵜殿氏の城跡で、鵜殿氏は現在の蒲郡市内に上ノ郷城、下ノ郷城、不相城(ふそうじょう)、柏原城を築き、一帯を支配していましたが、永禄…
長野県塩尻市宗賀、平出博物館横にある円墳3基で構成される平出古墳群のうち、横穴式石室があるのが、第2号墳。6世紀後半〜7世紀前半に平出の古代集落(平出遺跡に一部の住居と倉庫が復元)を治めていたと考えられる豪族たちの古墳で…
長野県塩尻市宗賀平出にある縄文時代から平安時代にかけての大集落跡が、平出遺跡。茅野市の尖石遺跡、静岡県静岡市の登呂遺跡とともに、日本三大遺跡にも数えられています。現在までに290軒を超える住居跡や建物跡が出土し、一帯は平…
愛知県尾張旭市城山町、名鉄瀬戸線・尾張旭駅の北西、城山公園一帯が、旭城。尾張旭市唯一の総合公園として整備され、展望タワーの「スカイワードあさひ」、鉄筋コンクリート造りの模擬天守「旭城」も建っていますが、応安7年(1374…
長野県塩尻市、平出遺跡に併設される塩尻市立のミュージアムが、平出博物館。茅野市の尖石遺跡、静岡県静岡市の登呂遺跡とともに日本三大遺跡のひとつで、縄文時代中期の竪穴式住居跡47をはじめ、175の住居跡が確認される平出遺跡。…
長野県安曇野市穂高、大王わさび農場の北西にあるのが、水色の時道祖神(道祖神公園)。昭和50年に放送されたNHK連続テレビ小説『水色の時』。松本を舞台に、医大進学を目指す松宮知子(大竹しのぶ)と母・房子(香川京子)の交流を…
長野県安曇野市明科、安曇野の東山と総称される一画、北アルプスの展望台としても知られるのが、長峰山(ながみねやま)。標高933.4mで、山頂まで車道が通じているほか、山頂近くには長峰山天平の森があり、コテージ、食堂、展望風…
長野県木曽郡王滝村、昭和59年に発生した長野県西部地震で御岳山の山麓を流れる王滝川の峡谷に大量の土石流が流れ込み誕生したのが、自然湖。滝越地区までは車道も通じているので車窓からの見学観賞も可能なほか、「自然湖ネイチャーカ…
愛知県豊田市小坂本町にある近世には挙母藩の藩庁が置かれた城が、挙母城(ころもじょう)。平山城ですが、三河国、尾張国、美濃国、信濃国、遠く伊賀国、伊勢国、近江国の7国を眺望できることから、七州城とも称されていました。本丸跡…
長野県北安曇郡白馬村北城、白馬東急ホテルから別荘地をさらに奥に向かった白馬・和田野の森のブナに囲まれて建つのが、和田野の森教会。木と石とレンガで造られたムード満点のチャペルは、白馬で唯一の日本聖公会の教会。雰囲気も満点で…
長野県木曽郡木曽町福島、木曽氏そして代官を務めた山村氏の菩提寺で臨済宗妙心寺派の寺が、興禅寺(こうぜんじ)。須原の定勝寺、木曽福島の長福寺と並ぶ木曽三名刹に数えられる禅寺で、木曽氏12代の木曽信道が木曽義仲の追善のため、…
愛知県豊田市大内町、徳川家(松平氏)のルーツ・松平郷の西にある中世の山城が、大給城(おぎゅうじょう)。大給松平家の初代・松平乗元(まつだいらのりもと)と、その子・松平乗正(まつだいらのりまさ)が築城した山城で、松平氏遺跡…
長野県木曽郡木曽町福島、中山道(なかせんどう)・木曽路の中心、木曽福島にあるのが福島関所で、関所跡に建つのが、福島関所資料館。江戸幕府が各街道に置いた50の関所のうち、東海道の箱根、新居(あらい)、中山道の碓氷(うすい)…
長野県木曽郡木曽町福島、中山道(なかせんどう)・木曽路の中心、木曽福島に残る江戸時代の木曽代官所の遺構が、山村代官屋敷。現存するのは享保8年(1723年)再建の下屋敷の一部と庭園のみですが(上屋敷は隣の福島小学校の敷地)…
愛知県豊田市市場町、「小原和紙のふるさと小原和紙美術館」の南にある中世の城館跡が、市場城(いちばじょう)。標高380mの山上に築かれた山城で、室町時代から戦国時代にかけて、鈴木氏4代の居城跡。現存する遺構は、天正11年(…
福岡県糸島市有田、昭和40年に発見された弥生時代末の墳丘墓が、平原遺跡(ひらばるいせき)。中心となる平原遺跡1号墳は、銅鏡、ユーラシアの交易路でもたらされたと推測されるガラス玉などの出土品から『魏志倭人伝』に記載される伊…