因幡国庁跡

因幡国庁跡

鳥取県鳥取市国府町、袋川(国府川)沿いの中郷集落近くにある古代の因幡国(いなばのくに)の政庁跡。国府町(こくふちょう)、国府川という地名は、一帯が古代に因幡国の国府だったことを物語っています。昭和52年に整然と並んだ掘立柱建物跡が10棟ほど発掘され、国庁の中心建物であることが判明しています。

昭和52年に因幡国庁の正殿跡が発見されました!

万葉風の景観が今なお残されています!

昭和52年の発掘調査で、ついに発見された因幡国の国庁跡。
規模は、東西150m、南北に200mで、発掘調査で判明した国司(こくし)が政治を司った正殿跡(せいでんあと)などが往時を偲ばせてくれます。現在、盛土と植樹が施され、礎石の位置を御影石で表示した史跡公園となって保存されています。
令制国としての因幡国は7世紀に成立していますが、国庁跡の中心的な遺構の年代は、出土した仁和2年(886年)の墨書のある題簽や木簡などから、平安時代以降のものと推測されています。

同じ国府町には、因幡国一之宮の宇倍神社、伊福吉部徳足比売の墓跡(いふきべとこたりひめのぼせき)、大伴家持歌碑、岡益の石堂、栃本廃寺塔跡、梶山古墳などがあり、この地が古代の因幡国の中心だったことがよくわかります。
国府を中心として東に甑山(こしきやま)、西に面影山、南に今木山(いまきやま)が位置し、大和三山を倣って「因幡三山」と通称されています。
また、「因幡万葉歴史館」では、国庁の推定復元模型や当時の人びとが身につけていた衣装や食事が展示され、古代の人々の暮らしを偲ぶことができます。

因幡守に赴任した大伴家持
『続日本紀』によれば、758(天平宝字2)年、大伴家持(おおとものやかもち)は因幡守に任命されたとあり、759年(天平宝字3)年1月に因幡国国府で『万葉集』最後の一首を詠んでいます。それが「新(あらた)しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)」。
因幡国の国守となって赴任した大伴家持が新年の希望を詠ったいかにも国守らしい歌。これを詠んだ年の9月には、新羅(しらぎ)遠征計画に必要な船145隻の建造を山陰道諸国は命じられていますから、国内の政争だけでなく国際的にも緊張した時代だったことがわかっています。


因幡国庁跡
名称 因幡国庁跡/いなばこくちょうあと
所在地 鳥取県鳥取市国府町中郷
関連HP 鳥取市観光コンベンション協会公式ホームページ
ドライブで 鳥取自動車道鳥取ICから約7.5km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 国府町総合支所 TEL:0857-39-0555
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
梶山古墳

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